「れおっち」のブログ

あなたに「小さな刺激」をお届けします。

文系とか理系とか云々。

みなさんこんばんは(-ω-)/ 

無事に7連勤をやり遂げ疲れ果てている「れおっち」です!

いやあ、ミスった。ミスりましたね笑 

「まだ若いから余裕っしょ!」と調子に乗ってシフトに線引きまくったら全然大丈夫じゃありませんでしたね。もはや20超えたらおっさんですね、おっさん。

これからは自分の年齢をわきまえて行動していきたいですね。。。

 

さて、前回の記事を通して僕のアイデンティティがだいぶ判明してしまったわけですが、今のところ身元がバレて困ることはなさそうです笑

今日は前回の続き?と言えば続きになるのでしょうか。所謂「文系」とか「理系」といった枠組みに関する僕の考えについてです(*´з`)

(※堅苦しい内容が続いてしまっていますが、堅苦しいのはとりあえず今日で一旦おしまいにしようと思います!)

 

みなさんはいわゆる文系、理系どちらだったでしょうか。

あるいは、どちらにするつもりでしょうか。

 

この問いかけに答えることができてしまったあなたはもしかしたら、

認識を改める必要があるのかもしれません。

みなさんはそもそもなぜ「文系」「理系」に分かれるのか、分けられる必要があるのか考えてみたことはありますでしょうか。

 

僕の中での結論から述べさせていただくと、そもそも

文理を分けることがナンセンスということです。

文系、理系の区別の仕方って色んな捉え方があると思うのですが、それぞれを僕なりの解釈でイメージするとこんな感じでしょうか。

 

文系→精神的な領域を司る分野 ex)言語学、宗教学、哲学、異文化理解など

理系→物理的な領域を司る分野 ex)物理学、化学、建築学、数学など

 

人間って物質的な「身体」をもつ生き物であるのと同時に、精神的な事柄を処理する「脳」をもつ生き物でもあるわけです。あえてこのことを表すのにこの言葉を用いたいと思います。つまり、

 

人間は『文系』的要素と『理系』的要素を兼ね備えた生き物であるということです。

 

それならばどうして「文理」を分ける必要があるのでしょうか。

(いや、「文理」を分ける必要などない。←反語(笑))

僕はどちらも勉強する必要があると考えています。どちらかに偏った考え方を身に付けるべきでないのです(゚д゚)!

実はこれは前回の伏線回収となるのですが、僕が英数国受験を用いて受験をした理由はここに起因しちゃってたりします、はい。(*`艸´)ウシシシ

←ほんとかよ、って思った方いらっしゃいますね。正解です。後付けです(〃艸〃)ムフッ

 

あ、でも僕が「情コミ」を選んだ理由の一つはここにあることは確かですね。

「情コミ」はいわゆる「カリキュラム」がないだけでなく、「文理の垣根」も存在しないのでそこに魅力を感じて選びました!

また、僕自身物事を一側面から見て推し量ってしまう傾向が高いので、物事をより多角的に捉えられるように、という目標で「情コミ」選んだんですね。その意味でも、一般的な「文理」によるカテゴライズは非常に邪魔なものだと思うし、やはり「文理」を意識せずに様々なモノサシで物事を見るということを大切にしていきたいです(*'ω'*)

 

今日は最後に僕が初めて呼び方としての『先生』ではなく、心から敬意を表す意味での「先生」をつけて呼ぶ教授のお言葉を紹介させていただき筆を置かせていただきたいと思います。

 

「世の中の物事というのは、一見関連性がないようなこと同士でも実は裏では繋がっているんだよ。」

 

次回はこんな堅苦しい内容ではなく、何か息が抜けるようなトピックを選びたいと思います笑

ではみなさん、ごきげんよう~\(゜ロ\)(/ロ゜)/