「れおっち」のブログ

あなたに「小さな刺激」をお届けします。

社会に対するやるせなさー男の僕が敢えて女性を代表してー

みなさんこんにちは!!

「れおっち」です(๑´∀`๑)

 

数日空いてしまいましたが、

やはりバイトに時間を取られるのは

嫌だなぁって思う今日この頃。

 

しかし!!

合間を縫ってれおっちは書き続けます♪

 

さて。

2020年11月8日は一体何の日か??

 

そう。

 

れおっちとえりなが付き合って

1年と7ヶ月目の記念日です♪

(基本的に毎月8日はなるべく空けるようにしてデートしたり、少し贅沢したり

するようにしてます←)

 

ということで、

まずは今日の一日をサッと紹介。

(※徐々にタイトルに向かっていきます)

 

以前にお話した通り、えりなは沖縄に帰省

していて6日に感動の再会をしました!

(約2週間ぶり!)

一般的なカップルがどのくらいの頻度で

会うかはわからないけれど、僕らははっきり

言って「ほぼ同棲」しているので

「2週間」と言うと、僕らにとっては

割と大きな事!Σ(゚Д゚)

 

とにかく、再会の喜びを噛みしめました。

(再会までに割と大きな出来事乗り越えた

けど、それはまた別記事で)

 

7日は二人とも一日中バイト。

やっぱり「バイト」という働き方は

「時間の切り売り」でしかなく、

やっぱりずっとこんな働き方は嫌だなって

思う。

 

バイト終わりに久しぶりの「カラオケ」へ♪

→「まねきねこさん、いつもお世話になってまーす(笑)

 

てなわけで、久しぶりに6時間くらい楽しみました♪

 

↓ 大好きなスピッツのチェリー( *´艸`)

youtu.be

↓ 大好きなSEKAI NO OWARI(世界の終わり)のデビュー曲♪

youtu.be

 

 

しかし!時計を見るとなんと午前の2時を

廻っているではないか!\(゜ロ\)(/ロ゜)/

(※次の日が「日曜日」であることを

すっかり忘れている二人。)

 

案の定、次の日の朝9時から始まる

武者修行のBFT(ビジネスファシリテーター)でお馴染みの

「前ちゃん」主催のニュース解説に

10分ほど遅刻。。。

(ちゃんとアーカイブ見ます、、、(;´д`)トホホ)

 

そんなこんなで8日の朝はスタートします。

→ 午前中はぐーたら過ごしました(*^^*)

 

そろそろお昼ごはんでも食べますか、

ということで

えりなのおばあちゃん(通称:ばあば)

から送られてきた

「タコライス」セットを用いてれおっち、

クッキングしました!( *´艸`)

 

まずは一番時間のかかる「炊飯」から始め、

その間に野菜を切り~

お湯を沸騰させてご飯が炊ける間近まで

待ちます♪

(この間に、溜まっていた洗濯物や洗い物を片付けるれおっち)

 

だいたいご飯が炊ける10分前くらいに

「タコライス」のソースを湯煎!

 

そして忘れてはいけないのが、、、、、

「盛り付け」( *´艸`)

 

どうやら女性は料理の「見た目」を気にするようです!(以前学んだ)

 

とうことで、出来上がったのがこちら!!!

 

 

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ちゃんと見た目にも気を遣えたでしょうか?!!(笑)

えりな的には大変満足なようで、強いて

言うならあと5分早く作って♡だそうです(笑)

 

さてさて。

れおっち的にはせっかくの記念日、

やっぱりお外でデートしたいわけです。

(一日空けたわけだし!)

 

そのためにはなんとかして、お家好きの

えりなちゃんをお外に

誘い出さなければいけません\(゜ロ\)

(/ロ゜)/

#もはや、『マーケティング』

 

れおっち「えりな~見て見て!空!

良い天気だねぇ(*´з`)」

 

えりな「ほんとだねー(棒)」

 

れおっち「今日さー??

何の日か覚えてる~??」

 

えりな「うんー!!」

 

れおっち「記念日さ??えりなと一緒に

お買い物したり、美味しいご飯食べたり

したいなーって思うんだけど、

どうかなぁ??」

 

えりな「うんー!!行く――(≧▽≦)

えな、お買い物好き!!準備するぅ!」

 

れおっち「うん♪(シメシメ( ̄▽ ̄)

計画通りだ)」

 

(((2時間後)))

 

えりな「終わったぁ♪ 行こう♪」

 

れおっち「うん!!(*´Д`)」

 

(内心、「長いわ!!(笑)」という気持ち

もある反面、

「でも、えりなお化粧楽しそうにしてるし、なによりお出かけするために

一生懸命やってくれてるんだもんな」

とホッコリするれおっちもいました。

いやぁ、成長したわー自分。

以前のれおっちは、イライラしてせっかくの

機会つぶしたことあったもんなー(苦笑))

 

 

てなわけで、まずはえりなの冬服を見に

「お買い物」へ ♪

(ちなみに「ミニスカート」が欲しいそうで、れおっち個人的には

「えー他の男共にえなの足を見せたくないなー」という気持ちと、

「でも本人楽しそうだしなー」という気持ちの葛藤を抱えていました(笑))

 

「お買い物」に新宿に来た者の、

まあーーーー人の多いこと山の如し。

少し前まで「コロナコロナ」と騒ぎ立てて

あんなにガラガラだったのに

今では『#コロナとは』と心の中で

つぶやいてしまう在り様。

 

えりなも嫌気がさしてしまったようで、

「お買い物」はあっけなく終了。

 

じゃあどうしようかー??ということで、

外のベンチに座る二人。

 

ここでれおっちが「映画とか久しぶりに

観よう!」と提案していくつか

上映しているラインナップを見せると、

『あ、これなら観たいかも』という作品を

発見したそう。

(※徐々にタイトルに近づいていって

います)

 

↓ それがこちらの映画!!

映画『82年生まれ、キム・ジヨン』オフィシャルサイト

 

『82年生まれ、キム・ジヨン』

f:id:shizhonglingyang:20201109110320j:plain

 (ネットから引用させてもらいました)

 

えりな曰く、この映画の元となる本を持っているそうで

もったいぶって最後までまだ読んでいない

みたいでした!

(えりなはれおっちと同じく、『読書』が

大好きです)

 

ということで、観に行くことに♪

→上映しているのが「池袋」だったので

「池袋」へ!

 

そして、この「映画」こそが今回のタイトルへと繋がっていくことになります。

(やっと!!!!(笑))

 

 

さて。

現在上映中の映画であることと、

基本的にれおっちはストーリーを紹介する

ことに意味はないと考えているので

今回内容自体にはあまり触れません。

 

大事なのは「ストーリー」

ではなく、

その「映画」なり「本」なりが伝えようとしている

メッセージ」を自分自身が

その「ストーリー」の中で

感じ取ること

読み解くこと、だからです。

 

さて。

 

それでは、映画を観終えてれおっちが

感じ取ったことは??

 

れおっちが一番思ったことは

 

「人間は人間について無知である」

ということ。

 

なぜ、人間は同じ人間であるにも

かかわらず、

「性別」「出身」「年齢」「身分」「嗜好」といった

人間の要素(一部)を切り取って

その人間(全体)を推し量ったり、

カテゴライズして知覚するのか。

 

そして、「自分とは異質である」と

判断されると

他者を排除しようと「排他的」になり、

「差別」するのか。

 

答えはシンプルで、

 

「人は怠惰で、臆病で、愚かだからだ。」

 

この映画を観て、れおっちは「人間」という生き物に対する「根本」の見直しを

行いました(゚д゚)!

 

一部を切り取って、全体を見ようとするのは

「認知バイアス」によって

「認知のスピード」を速めようとするから

だと思うんです。

(※認知バイアス→「社会心理学」で言う「ヒューリスティックス」のこと。)

 

確かに、何も知らない対象を認知する上で

ある要素(たとえば、性別とか、

血液型とか。)を手掛かりにして

その相手を知ろうとすることは

相手を理解する上で助けにはなる。

でも、それはあくまでも「蓋然性」の話で

あって、

決してそれによって結論づけられるもの

ではないと思うんです。

 

「便利なもの」というのは「利便性」にのみ目が行きがちだけれど、

その「不便性」についてもしっかりと理解

しなければいけない、再認識しました。

 

では、どうして人は「不便性」を理解しようとしないのか。

 

答えはシンプルで、

 

「人間は”怠惰”な

生き物だからだ。」

 

言うなれば「ナマケモノ」です。

基本的に人間は「メンドクサイ」ことが

嫌いなんです。

 

よく聞きますよね、「楽したい」って。

(※れおっちは個人的にそもそも

「楽したい」という考え方が

好きじゃありません)

 

でも、実際「人間はそういうものなのだ」

と今回の映画を観て思いました。

 

「楽」ができるなら、「楽」をしたい。

だから、人は「メリット」だけを提示されても物を買うんだと思います。

(もちろん、買わない人がいるのは

わかっています。

今は全体の傾向の話をしています←)

 

だから、人はあえて「デメリットがあるかもしれない」とは考えない。

「不便性」を見ようとしない。

(「楽」だから。メンドクサイから。)

 

だから、人は「認知バイアス」を享受して

その「不便性」を理解しているはずもない。

 

だから、平気で「人が傷つくようなこと」を言う。(本人は悪気もなく)

(これだから「若者」は。

これだから「女性」は。

これだから「男」は。)

 

全部そうです。

 

「カテゴリー」でその人を

とらえ、グルーピングし、

どうせこの人もこうに

決まっている。

 

と勝手に結論付けているんです。

 

その人自身を知ろうともせず、勝手に

「部分」で「全体」を語るんです。

 

人間は”怠惰”である。

 

では、どうしてそんなことが起こるのか。

 

「人間が”臆病”でも

あるから」

 

これは人間に共通しているものの、

れおっち的には「どこで生きてきたか

によってその程度は変わってくると

思っています。

(「国籍」は関係なく、

「どの国で生きてきたか」です。)

 

人間は「環境」によってカタチづくられる生き物だからです。

 

中でも、「日本で生きてきた人

(それを『日本人』と定義)」

「日本人」はかなりこの「臆病」という要素を強く持っていると思います。

 

つまり、「日本人はめっちゃ

『臆病』である』わけです。

 

自分が「日本人」だと思う人は、

これは根本で認める必要があることだと

れおっちは考えています。

 

※『臆病』って聞くと、気分が良くない人もたくさんいるでしょう。

でも、それは決してあなたを馬鹿にしているわけでもなく、

あなたを否定しているわけでもありません。

『臆病』という要素をもっているだけだ、

という話です。

 

日本は島国であり、大陸続きとなっている

ヨーロッパとは異なり

「移民」という存在が頻繁に移住するということがあまり起こらない。

すると、日本という閉鎖的な空間がある意味保たれることになるわけです。

→ヨーロッパのように「移民」が頻繁に移住し得る環境だと、

そもそもそういう「他者」という存在が

「アタリマエ」になる。

日本は、その意味で「多様性」が

前提にないんです。

 

それでいて、みなさんもご存知の通り、

長い間「鎖国」というものが行われて

いました。

→ただでさえ、閉鎖的なのにどんだけ閉鎖的になるねん!!って話。

 

ペリーさんが日本に来て

「開国シナサ―イ!」と言ったのは

1853年のこと。

(2000年ある歴史のうちのほんの200年前のこと)

そう考えると、日本人にとって

「他者を受け入れる態勢」ができあがって

いないのもわかる。(※だからと言って、「メンドクサイ」を許すとは言ってません)

 

何が言いたいかというと、

基本的に人間にとって

「異質な物事」は「怖い」

んです。

 

だって、「何されるかわからないから」

「何考えているかわからないから」

 

そりゃ怖いですよ!れおっちだって!!

でもね??「怖い」からといって、

れおっちは「差別」しないし、

「メンドクサイ」って言って

思考停止もしない。

 

じゃあどうするか???

 

「キャッチボール」

をするんです!!

 

そのための道具が僕らがずっと使ってきた

「コミュニケーション」ではないのでしょうか!

(と言っても、その「コミュニケーション」に価値を感じていなければ

そうならないと思うので、

そこはまた別記事で!)

 

では、人間は「怠惰」で「臆病」だという

ことはなんとなく伝わったかと思います。

 

それではなぜ人は「怠惰」で「臆病」だと

いうことを、そもそも知らないのか。

 

「人間は”愚か”であるから」

 

いやぁ、れおっちはこの映画を観て

「ソクラテス様様だわーーー」

と思いました。

 

「『無知』の知」とは

本当によく言ったものだーーーーーって。

 

そもそも、人間は自分たち人間を「神様」のように捉えている節があるんじゃないかな

って思うんです。

→ 一応、自然界で他の動物を支配できて

いるし、みたいに。

 

この前提があるから、人は

「おれたちスゴイ」という勘違い甚だしい

所謂、「イタイ」状態にいるんだと

思うんです。

 

だから、人は「学ぼうとしない」

「知ろうとしない」

 

なんなら、「学びなんて必要ない」

「楽しければなんでもおっけー」

そんな風にさえ思っている人はたくさんいると思うのです。

 

れおっちはそんな状態は「イタイ」と

思います。

 

「楽しけりゃいいや」それもまた

「幸せ」なのかもしれない。

 

でも、「楽しけりゃ考えなくてもいいや」

って

本当の本当にそれでいいの????って

れおっちは思う。

 

そうやって「考えなくてもいいや」の人が

多いんだと思う。

「誰かが考えるからいいや」の人が

多いんだと思う。

(この究極が現在の

「選挙にいかない問題」)

 

でも実際問題、世の中にはいろんな問題が

あるわけで。

 

「差別」「戦争」「自殺」「いじめ」

「殺人」「強盗」「強姦」「貧困」、、、

 

はっきり言ってキリがない。

今挙げたのは「人間様」の間での問題に

過ぎない。

 

本当だったら、「森林破壊」「環境汚染」「オゾン層破壊」「地球温暖化」

「絶滅危惧種」etc

こういった、スケールの大きい問題だって

山ほどある。

 

れおっち思うんですよね。

たしかに、「環境」云々言って

そっちの問題に目を向けることも

大事だけれど、

そっち????

(そっちに目を向けて様々な活動されている方は尊敬しています、

ただ僕はそうじゃないということです。)

 

いやいや、まずは「人間」っていう

コミュニティの問題すら解決していないのに

他の問題なんて解決できるわけなくない????

 

今、「人間」の間に起こっている問題って

結局大きさの差はあれ

根本は「多様性の受け入れ方」に

帰着するような気がするんです。

 

・男性の女性に対する「見方、考え方、

扱い方」→「性に関する問題」

(もちろん二次的に女性から男性への、

という話もあるけれど)

 

・コミュニティ内におけるある人間の

ある人間に対する

「怒り」「嫉妬」「憎しみ」といった感情→「いじめ」

 

・「イデオロギー」同士の衝突、

「利害関係」の衝突、の最終形態→「戦争」

 

・「生活するのに困っている人」に対する

受け入れ→「強盗」「貧困」

 

・自分に居場所はないという、

コミュニティからの疎外感の究極→「自殺」

 

もちろん他にも事例は山ほどあると

思います。

 

れおっちは大真面目な話、

こういった「人間間の問題」は全て

この「受け入れ合う姿勢」

「多様性への理解」という文化が根付けば

上手く対処していくことが出来ると

信じています。

 

(※こういった問題がなくなることは

絶対にない。

「いじめ」をなくそう、というのは無理な話だって思っています。

なぜなら、人間が存在する限り、

それらの問題は起こるからです。

→このことは「『悩み』をなくす方法が

ない、のと本質は同じ」

 

そのものの根絶ではなく、

その起きることを前提で

それぞれの問題への「対処」、

そういった「技術」、

文化形成が大事になってくると

考えています。

→そのうち、僕が今構想している『夢』と、その具体的な方法について記事にします。

 

 

話が逸れたので、戻します。

 

人間は”愚か”である

 

何が「愚か」かと言うと、

様々なことに『無知』であるということ。

『無知』であり続けること。

その根本は「人間は”スゴイ”」

この感覚だと思います。

 

だから、『無知』でいられる、

「知ろう」としない、「学ぼう」としない。

 

この前提に立った時、

この前提を認めた時初めて

「ではどうするか???」が生まれるんだ

と思うんです。

 

だから、人は「学ぶ」ことができるし、

そこから「想像する」ことができるし、

そして「創造する」ことができる

 

そうやって人は発展してきたのでは

ないでしょうか。

 

これがれおっちが映画を観て感じたこと

です(*´ω`)

 

 

色んなことを考えさせられましたが、

やはりその中でも

「女性の社会での位置づけ」そして、

その現実に対する「女性の気持ち」

こういったことを特に考えさせられました。

 

映画を観ている時、観客席には多くの女性がいて、

時々鼻をすすって泣いている様子が

見受けられました。

 

それは僕にとって大切なえりなにおいても

例外ではありませんでした。

時々、身体を強張らせて怒りを感じている

様子も見受けられました。

 

映画を観終えて、僕は(普段なら感想を聞きますが)何も聞きませんでした。

 

しばらくして、えりなが僕の腕を思い切り

つねってきました。

そして、数々の思いの丈をぶつけて

きました。

 

「こんな世の中だったら、就職をしても

しなくても、

子どもを産んでも産まなくても、

生きたくない。」

 

「でもどうせ、れおっちにはわからない。」

 

そう言って、近くにあったシャッターの

閉じたお店を力いっぱい

たたいたのです。

 

ガシャーーーーン。

 

大きな音が辺りに鳴り響きました。

周りから見ていて、「なんだあの二人、

喧嘩でもしたのか」程度にしか

思われなかったでしょう。

 

しかし、僕にはえりなの気持ちが

想像できた。

だから、やるせなかったし、

怒りも覚えたし、

なにより、そんなえりなのために

何もできない自分が情けなかった。

 

僕は「女性」ではないから、直接的にその

気持ちを「実感」することは

中々厳しいし、たぶんこれは一生本当の

意味で「わからない」のだと思うのです。

 

でも、だからこそ「わかろうとすること」

だけは一生諦めてはいけない

僕はこんなって思ってきた。

 

自身も、父親がいなくてずっと母に育て

られてきたんです。

だから、自分にとって「一般的な『男』」

がわからなかった。

「フツウ」父親の姿を見て、

「男」というものを知って、

学んでいくのだと思うんです。

でも自分にはそれがなかった。

だから、自分で「男」を築き上げていく

しかなかった。

 

何度も「女々しい」という言葉を

耳にする度に、

「やりきれない」気持ちになりました。

 

「一般的な男象」や

「自分にとっての理想の『男』像」

と自分を比べられて、

そこと違うというだけで、

「女々しい」と言われる。

 

中々、キツイものだなと。

 

でもだからこそ、自分はそうやって

人のことを「性別」というラベルや、

「出身」「年齢」「血液型」「嗜好」、、、etc

こういった「一部」の要素で人を判断する

ことを絶対にしない。

 

だからこそ、そういったことで

ラベリングされる人の「気持ち」や「状況」がイタイほど想像できてしまう。。

 

その意味で、自分の「環境」には

感謝しています(*´ω`)

 

 

えりなが言葉にできない”想い”を「つねる」「シャッターをたたく」

という行動でぶつけてくれたことで、

僕はえりなをより知ることができたし、

自分になにができるか、と考えるきっかけになった。

 

まだまだ、これからもずっと考え続けて、

その「想い」を「カタチ」に

しなければ、今の世の中は変わらないのは

わかってる。

 

だけど、とりあえず、今できることは

何だろう。

そう考えたら、僕は「想い」を

「文章」にしていた。

 

 

この問題は一生向き合っていく問題だから、これからも何度も何度も、

口にすることになると思います。

 

そうやって模索し続けていくこと、

わかろうとし続けていくこと、

これが今自分にできることだ。

 

そう思うんです。

 

 

ちなみに、余談ですが、このあとえりなに

「一人にさせて」と言われて渋々

了承しました。

(せっかくの記念日なのに、、、(ToT))

 

とか言ってきたのに、5分くらい離れた後

lineで「今どこ??」って来たんです笑

 

なんなら電話かかってきて

「えなねぇ、今お買い物してるー♪」

とか言って機嫌がよくなっていました笑

(イヤホントニオンナノコッテフシギ)

 

まぁ、可愛いからよしとします。笑

 

その後合流して「お寿司屋さん」で

ご飯を食べました(๑´∀`๑)

 

→今までの振り返り、思いの丈を述べた

手書きの手紙をプレゼントしました♪