「れおっち」のブログ

あなたに「小さな刺激」をお届けします。

「夢」を持つということのイミ

みなさんこんにちは!

「れおっち」です(-ω-)/

 

最近睡眠時間をたくさん確保できている 

ので、なんだかとっても幸せな心地が

しているれおっちです(笑)

 

もしかしたら、「幸せ」って案外

何気ない日々の中にあったりするのかも

しれませんね!

 

さて。

 

「幸せ」というと、人それぞれあったりするわけだし、

その人の中でも色んな「幸せ」があったり

する。

 

れおっちは「夢」というものを大切にしたいな、って思うんです( *´艸`)

 

きっと「夢」を思い描くことって「幸せ」に繋がるんじゃないかなって思うのです。

 

今日はそんな話。

 

みなさんは「夢」と聞くとどんなことを

思い描きますか?

イメージしますか??

 

ワクワクする人もいれば、ちょっと抵抗が

ある人もいるんじゃないかと思います。

 

僕が今日注目したいのは

「夢を持つことに対して抵抗のある人たち」です。

 

「夢」というものに対してあまり

よく思えていない人たちがいる。

 

れおっち自身、実はつい最近まで

「夢を持てない自分」に対して

イライラしたし、なんだか「劣等感」を

感じていたし、

「夢を持てない自分」が好きに

なれなかった。

 

そして、「夢を持って行動している人」

に対して

「憧れ」たし、なんだかキラキラしている

ように思えて勝手にキョリを感じたり

どこか「遠い存在」のようなことを感じて

いた。

 

でもそんなれおっちが、

つい最近(一か月以内)

「夢」というものを持つことができたん

です。

 

正確に言うなら、ずっと自分の中にあった

想いに「言語」というカタチを与えることが出来た。

(※その方法は最後に貼っときます(-ω-)/)

 

いやいや待てよ!

そもそもなんだけど、

 

「なんで自分って『夢』に対して

良いイメージを持てないんだ??」

「なんで『夢』なんて持つ必要があるの?」

 

そんな声が聞こえてくる。

 

れおっちなりに思ってることをあなたに

伝えたい。

 

 

まずは「夢に対するイメージの話」から。

 

実はれおっち、小学生の頃に

「漫画家になりたい!」という「夢」を

持っていたんです( *´艸`)

 

絵を描くことが好きで、幼稚園の頃から9年間「絵のアトリエ」にも通っていたほど。

(ちなみに2歳の頃からペンをもって

お絵かきしていたそうです(笑))

 

自分でオリジナルの漫画を描いたりして

ました。

 

そして、中学生になると僕たちは

「進路選択」を迫られる。

 

れおっちは中学生になってからも、

相変わらず漫画を描くことが

好きでやっぱり「漫画家」になりたい!

という想いは変わっていなかった。

 

話は一旦逸れますが、れおっちは

シングルマザーに育てられてきました。

母は一つ下の弟と自分のために一生懸命

働いてくれた。

そんな母を見てきたれおっちは「なるべく

わがままを言わないようにしよう」

そんな想いで生きてきました。

だから基本的に「〇〇したい!」という

ことを母に伝えてこなかった。

覚えている限り、小学生で一度だけ

「バスケの習い事がしたい」と言った

限りです。

 

話を戻します。

そんなれおっちが中学の「進路選択」

という場面において

母に「漫画の専門学校に行きたい」と

伝えました。

相当「行きたかった」ことが

わかってもらえるかと思います。

 

しかし、母はこう告げました。

「『漫画家』になれるのなんてほんの一握りの人なんだよ。

普通に「高校」に行ってほしい。」

 

この言葉を聞いた時、れおっちの中で

何かが折れました。

 

小学校の時「父母会には出たくないから

バスケを習わせることはできない」という

理由で叶わなかった「バスケの習い事」や、

「現実は厳しい」という理由で閉ざされた「専門学校への道」

 

これらのことは、たぶん表面的な出来事に

過ぎなくて、

れおっちの中ではもっと大きな出来事だったんです。

 

たしかに、母の言い分も今ならわかる。

わかるし、そんなに本気で目指すなら

「否定されても」やるでしょ???という

意見があるのもわかる。

 

そういうことじゃない。

 

やっぱり、例え「物理的な理由で無理」

なのだとしても

やっぱり一番の味方でいてほしい「親」に「否定」される、というのは

言葉では表しようのないほどの「絶望」を

感じることではないのか。

少なくとも、れおっちは感じたんです。

 

「よし!だったら自分で頑張ればいいや!!」という気持ちになるだけの

「自己肯定感」がれおっちにはなかった。

そんな「前を向く力」が当時のれおっちにはなかった。

 

夢を諦めた瞬間だった。

 

この頃から、れおっちは高校3年生の

「進路選択」まで一切

「〇〇したい」を言わなくなりました。

というより、

そもそも「〇〇したい」とも思わなくなったんです。

 

 

だから、れおっちは

「夢に対して良いイメージ」なんて持てる

はずもなく、

というかそもそも、「持とう!」という

意識にも長い間ならなかった。

 

 

 

「夢を持つ必要があるか」という話

について。

 

結論から言うと、

「夢を持つ必要性」なんてない。

というか、そもそも「必要性」の話なんて

してない。

というのがれおっちの考え(。-`ω-)

 

たぶん、この「必要性」という観点で

「夢」を語る人は

以前のれおっちと同様、

「夢に対して良いイメージ」を持つことが

できていない状態、にある人だと思います。

 

「夢」って「あったらいいよね!!」

「ワクワクするよね!」

というものであり、決して

「持たなきゃいけない。。。」

という類のものではないのです。

 

そんなれおっちの考えを前提に、あえてこの言葉をあなたに伝えます。

 

「日本人は『夢』を持って、もっと「幸せ」にならなければいけない!!」

 

おいおい\(゜ロ\)(/ロ゜)/

あなた、今さっき「夢は『べき』とか

『義務』じゃない」みたいなこと

言うてたやん!!!何わけの分からんこと

言っとんじゃい!!\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

まあまあ。

最後まで話を聞いてくださいな(*´ω`)

 

このお話は「3年前の出来事」に繋がって

います。

実はれおっち、大学のあるプログラムの一環で

3年前に「カンボジア」に行ったことがあるのです。

カンボジアと言っても、「都市部」

(プノンペン)と「郊外」で

本当に別の国のような格差が広がっていた。

 

れおっちは「バイヨン」と呼ばれる地域に

ある、「バイヨン中学校」へ訪れた。

 

 

みなさんもご存知の通り、カンボジアは

「貧しい国」の一つとして知られています。

学校だって、十分じゃないし、やっぱり家の手伝いが理由に中退したり、そもそも通う

ことが出来ない子もいる。

 

この中学校では、「午前の部」「午後の部」といった分け方で授業が行われていた。

(生徒は交代制)

 

そんな中学校の子どもたちと「国際交流」を兼ねて、お互いの文化を

紹介したり、体験し合った。

当然、英語なんて通じないから「非言語化」でのコミュニケーションが基本となった。

 

その中で、一生忘れることのない出来事が

あった。

 

数人の子達から「発表がある」ということで一室に集められました。

すると、どうでしょう。

一人の女の子が話をしだしました。

 

「私の『夢』は医者になることです。」

 

衝撃だった。

そして、自然と頬には涙が流れていた。

 

この子達は、日本人から見て「不十分」な

環境下にあるにも関わらず

「日本語」で、しかも「夢」を語ってくれたのです。

 

それだけで十分でした。

それを見ただけで、その裏にどんな想いが

あるか、

どんな努力があったか、全部伝わってきた。

 

同時に思ったことがある。

 

何をしているんだ、自分は。

何をしているんだ、学生は。

何をしているんだ、日本人は!!!!

 

どうして、日本には「十分すぎるほどの

環境」が整っているのにも関わらず

学びに対して前向きな学生が少ないんだ!!!

どうして、日本には「夢」を語る「大人」が少ないんだ!!!!

どうして、日本には「幸せそうな顔」をした人が少ないんだ!!!!

 

日本に対する「怒り」や「哀しみ」といった感情で心の中が溢れそうだった。

 

そして悟った。

 

「十分な環境」があるから、日本はそうなのか。

 

何が「経済」大国だ。

GDPで世界二位をとったって、ちっとも

「幸せ」で満ち溢れた国じゃない

じゃないか。

「お金」をたくさん稼いだからと言って、「幸せ」にならないことは

この事実が証明している。

 

実際に、「幸福度ランキング」でも日本は年々下がっている。

 

むしろ、「経済大国」になったことである

意味「不幸」になっているとさえ言える。

 

「アタリマエ」の基準が高くなってしまったことで、

「感謝」という概念が頭からスッポリ抜け

落ちている。

 

なにより、「経済大国」になったことで

傲慢になっている。

 

何が「先進国」だ。くだらない。

 

「先進国」に対して「発展途上国」だなんて呼び方をつけて失礼だと思わないの

だろうか。

 

そこには「アタリマエ」な基準として

「経済力があることが素晴らしい」

という「資本主義」の考え方が存在して

いる。

 

本当に黙ってほしい。

 

はっきり言って、くだらない、

としか言いようがない。

 

人として大事なのはそこか???

 

カンボジアでは見ず知らずのれおっちが「Hello」と道端で声を掛けたところで

「変」だなんて思われないし、そこには

自然なコミュニケーションがある。

ましてや、トゥクトゥク

(バイクタクシーみたいなもの)で

「ここまで連れて行って!」と言ったら

「オッケー」と言いつつ、

そこら辺の人に「ここってどうやって行くの?」と聞いちゃう、

いや、聞けちゃう。しかも、ちゃんとそれで「目的地」まで連れて行ってくれた。

 

何が言いたいかというと、

カンボジアは「心の先進国」だった。

 

対して、日本は???

「心の発展途上国」としか言いようがない。

 

日本は素晴らしい国だ!!

水道水をがぶがぶ飲んだって死なないし、

トイレだってどこにだってある。

「社会保障」だって整ってるから、

本当の意味で

食いっぱぐれることなんてない。

 

「学ぶ環境」だって、「十分すぎるほど」

ある。

小中が義務と言いつつも、

実際は高校に行く人がほとんどだし、

なんなら大学進学率は60%。

過半数を超える人が、

「必要のない教育」(大学)を受ける

「余裕」すらある。

 

どれだけ恵まれた環境を持つ国なんだよ、

日本は。

 

こんな国で毎日「息を吸える」だけで

「幸せ」じゃないか。

 

であるのに、満員電車の中は「死んだ目をした大人」でいっぱいだし、

「自殺率」だってものすごく高い。

 

日本人は「幸せ」である「べき」だ。

 

「夢」は原動力になる。

希望になる。

 

しかし「夢」を語らないどころか、

夢を語るとバカにされたり、否定されたり

する。

 

日常がアタリマエになると、

それ以外が視えなくなってしまうのだろうか。

 

 

最後に「夢」の話。

 

こんなに素晴らしい環境があるんだから、

せめて「幸せ」である「必要性」がある。

じゃないと、「環境がない中、頑張っている人たち」に顔向けができない。

とれおっちは思う。

 

よく「貧しい国の人たちのために」

と言って海外に出て、

活動していたりする人がいる。

 

その人のその行動は素晴らしいし、

きっとその人なりの想いがあって

やっていることなんだと思う。

 

れおっちも海外に目を向けていた時期が

あった。

 

海外に出て、日本と海外を繋げる仕事が

したい!って。

 

でも、今の自分はそうは思わない。

目を向けるところが違うと思うから。

日本はまだまだ「心の発展途上国」だと

思う。

→具体的な「夢」については別記事で

触れようと思う。

 

やっぱり、自分たちが「幸せ」じゃないのに

他の人を本当の意味で「幸せ」になんて

できないって思うんです。

 

もちろん、れおっちもカンボジアを始め

とした「環境」が十分でない国のために

「環境」を整える仕事もしてみたい、

って思う。

ただ、順番が違う。

 

目の前に、自身が属している「日本」というコミュニティがあって

どうやら、コミュニティ内で様々な問題が

あるように思える。

だったら、まずはその問題と向き合って

みたいと思うんです。

 

 

「夢を持つ」

 

これって環境問わずできること。

でも、自身の気持ち次第では「夢を持つ」ということすらできない。前を向けない。

そもそもイミを疑ってしまう。

 

その意味で、「夢を持つ」ことができる、

というだけで

本当は「幸せ」なのかもしれない。

 

でもどうせなら、もう一歩先へ。

 

その「夢」を叶える、というところまで

カタチにしたいなとも思う。

 

人って欲深いなぁ、、、( *´艸`)

 

 

今日はこの辺で♪

 

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これやると、自己認識が深まって

自分の想いを言語化できるようになります

shizhonglingyang.hatenablog.com

 

 

 

 

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