「れおっち」のブログ

あなたに「小さな刺激」をお届けします。

「想い」を背負って僕らは生きていくーthrough 鬼滅の刃ー

みなさんこんにちは!

「れおっち」です(-ω-)/

 

聞いてください!!!!

 

やっと!!!

やっと手に入れました(≧▽≦)(≧▽≦)(≧▽≦)

 

鬼滅の刃の最終巻!!!!!

 

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12月4日に発売してからというものの、

どこのお店に行ってもそれはそれは

手に入るわけがなくて、

事前予約ですら数に限りがあったわけだからそれもそのはず。

 

以前「すた丼」でバイトをしていることを

明かしたれおっちでしたが↓

shizhonglingyang.hatenablog.com

 

実はれおっちはセブンイレブンでもバイトをさせてもらっています( *´艸`)

店員だけど、予約できなかった←

 

まだかまだか、、、と思っていたところ、

ついに昨日

バイト先で買うことができました(*´з`)♪

 

今回は「鬼滅の刃」を通してれおっちが

感じたことを少しお話します。

 

まずはザックリ「鬼滅の刃」を

おさらい!(*´з`)

 

「鬼滅の刃」では、

「鬼」という存在と「鬼を倒す」存在

(鬼殺隊)の間で

それぞれの目的を果たそうとする様子が

描かれています。

 

「鬼」の目的は「人間を食べること」

※人を食べると「強さ」や「長生き」が

手に入る

「鬼殺隊」の目的はその名の通り

「鬼を殺すこと」

 

主人公の炭治郎は家族を「鬼」に

皆殺しにされてしまいます。

唯一生き残った妹の「禰豆子(ねずこ)」は

「鬼」になってしまった。

そんな中「鬼殺隊」の「柱」

(鬼殺隊の最高位で、選ばれた者)

である「富岡義勇」との出逢いを

きっかけに炭治郎は妹を人間に戻すべく、

「鬼のボス」である

「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)」

※無惨は自身の血を分けることで「人」を「鬼」に変えることが出来る

を倒すために「鬼殺隊」に入ります。

 

強くなるための「修行」や、

「鬼」を倒すにつれて

炭治郎の周りには同じ「志」を持った

仲間が出来ていきます。

 

 

ここまでは割と漫画に

「ありがち」な設定だなぁ、

というのが正直な感想。

 

れおっちが他の漫画とちょっと違うなぁと

思ったのは、

「チームで一丸となって戦う」というよりは

「個人個人がそれぞれの想いを持って戦う」ところに焦点を置いて描いているところ。

 

当然と言えば当然なのですが、

それぞれに「鬼殺隊」に入るにあたっての

物語があるわけで、

それぞれの「想い」がある。

 

その「想い」を胸に、 それぞれが「鬼」と戦うところに重きが置かれている気がする。

 

もちろん「鬼を倒す」という共通の

「想い」があるからこそ

「チーム」として成り立つわけ 

なのだけれど、

ワンピースのようにそれぞれが異なった

「役割」を持って足りないところを

補い合う、といった意味の

「チーム」ではないように思う。

 

だからこそ、何か困難な状況に陥った際には

「周り」が助けに入る、というよりは

どちらかと言うと、

「己の意志の力」で打ち克とうとする様子がしばしば見られるのだと思います。

 

現代のSNSが台頭してきて「個人」に

注目が集まる状況を

踏まえたうえでの描かれた方なのかな???と思って

それはそれでオモシロイなって( *´艸`)

 

もう一つ注目したいのは

「鬼」という存在の描かれ方について。

 

鬼滅の刃では「鬼」自身も

「葛藤」や「感情」を抱えている存在として描かれています。

 

つまり、

人、に対して「異質な生き物」である

「鬼」も

本質的には「人」と「同じ生き物」である

ということを

暗示しているように、れおっちには

思えるのです。

 

「鬼」も実はもともと「人」で、

それぞれに「絶望」という「体験」

があったりする。

そんな状況につけいるかのように

「無惨」は「鬼にならないか?」と誘惑するわけです。

 

つまり、「無惨」は

「人が鬼になるキッカケ」として

描かれている。

 

これって、れおっちてきには

フツウに僕らにも

起こりうるんじゃないかな、

って思うんですよね。

 

「鬼」になるわけではないけれど、

でも、僕らだって「絶望」を感じることが

生きていればきっとあると思うんです。

 

そんな時に、「無惨」のようなキッカケが

何か一つあって

それこそ「犯罪」に手を染めてしまったり、

「自殺」という選択をしてしまったり、、

あり得る話だな、と思うんですよね。

 

ということは、

「鬼」も「鬼殺隊」も「紙一重」だと

言えるんじゃないのか、

とれおっちは思う。

 

では、作者はその「二者」の存在を

対立させて、対比させて、

何を伝えたかったのでしょうか。

 

 

れおっちはこんなって受け取りました。

 

「生きる」ということは自分の「想い」を

カタチにしていくこと

だけでなく、

関わった人の「想い」を

背負う、ということだ。

 

 

 

炭治郎が「鬼」と戦う中で、当然そこには「犠牲者」なる存在が生まれます。

 

当然、生きていく中で「大切な誰か」を失うという経験が起こりうる。

鬼滅の刃の中でも、 

それは例外ではありません。

 

例として挙げるならば、

「煉獄さん」の存在が

それを象徴していると思う。

 

炭治郎は「煉獄さん」が亡くなった後も、

彼の想いを胸に、己の目的を

果たすべく前に進もうとします。

 

たしかに、物理的には「煉獄さん」は

死んでしまった。

でも、一方で彼の想いは少なくとも、

炭治郎の中で生きているんです。

それは、まぎれもなく炭治郎が「煉獄さん」の想いを背負っているからに

ほかなりません。

 

 

死んだ人の「想い」を受け継ぐことで、

その人は生き続けることが出来る。

 

これ実は、れおっち自身が大切にしていることにほかならないんです。

れおっちは身近な人が亡くなる、という経験をこれまでに一度だけしました。

 

その人はれおっちの「恩師」をも呼べる人

だったんです。

 

その「恩師」から、れおっちは「愛」

というものを教えてもらった。

 

返すにも返しきれないほどの「恩」を

もらった。

 

「恩返し」ってよく言うけれど、

れおっちは思う。

本当の「恩返し」って、

その与えてもらった「恩」を使って、

自分の想いをカタチにしていくことだって。

 

自分がもらったものを使って、

自分だけにできるカタチで

また新しいモノを生み出し、

それを世に出す。

 

そうすることで、

また誰かがそれを受け取り、

その人にとって良い「キッカケ」になり得るから。

 

そうやって、自分の人生(みち)を

生きながらも、

そこに受け取ったモノ、与えてもらったモノを反映させることで

それは自分だけのカタチにもなるし、

その相手を生かし続けることにもなるんだってれおっちは思う。

 

炭治郎は言います。

「みんなに繋いでもらった命で、

一生懸命生きていきます」

 

与えてもらったからこそ、

「今の自分」がある。

その裏には「きっかけ」を作ってくれた

人がいる。

与えてくれてありがとう。

 

そんなって思うからこそ、

れおっちは「自分の想いだけじゃなく、

他の人の「想い」を背負っていきたい。

 

そんなことを「鬼滅の刃」はれおっちに

教えてくれたような気がするんです( *´艸`)

 

 

ぜひみなさんも、一度読んでみてください♪

 

今日はここまで♪

 

↓ 最後に「鬼滅の刃」の作者さんに

「感謝」を込めて描きました( *´艸`)

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