「れおっち」のブログ

あなたに「小さな刺激」をお届けします。

「生きること」と「死ぬこと」について考える夜。

みなさんこんにちは!

「れおっち」です(-ω-)/

 

タイトルに「夜」って書いてるくせに

挨拶は「こんにちは」じゃねーか!!

 

と思った方、ツッコミの天才だと思います。

座布団二枚持ってってくださいっ。

 

 

さて。

 

僕は今、パソコンをカタカタさせながら

同じことをグルグルと考えています。

 

 

何回も何回も。

 

グルグルとね。

 

 

自分のウチ側で考えるだけだと、

永遠に「終わり」が来ないような

気がしたので

今こうやってソトに出すことにしています。

 

 

僕たちは

なぜ「生きる」ん

でしょうね???

そして、なぜ「死ぬ」んでしょうね???

 

 

 

おいおい。

 

いきなりどうしたコイツ。

病院にかれこれ10日以上

閉じ込められていたから

おかしくなっちゃったのだろうか。

 

キッカケは一冊の

「本」との出逢いだったんです。

 

ううん。

 

1人の「人」との出逢い、かな。

 

と言っても出逢ったのは直接でもなければ、

お互いに言葉を交わしたわけでもない。

 

ただ一方的に僕が

「彼」と出逢っただけです。

 

その「本」や「彼」について、

書きたいことはたくさんあるのだけれど

先程書こうとしたら筆が進まなかったので

書くのを止めることにした。

 

時々あるんですよね。

 

「書けない」時が。

 

#なに作家気取ってんだよ(笑)

 

 

そういう時は、潔く「書かない」という

選択を取ることにしている。

(たった今決めたんだけどね)

 

 

とにかく自分の心の動きに

素直になってみようと思うのです。

 

 

幸い、

この記事を書き始めて数分経ったけれど

スラスラと手が動く。

 

どうやら

今日はこの続きを書いた方がよさそうです。

 

 

 

僕は今まで、身近な「死」というものに

二度触れたことがある。

 

一度目は飼っていたウサギの死。

二度目は恩師の死だった。

 

 

はっきり言って、

僕は「死」というものを恐れているし

できることなら身近な「死」にも

金輪際触れたくない。

 

これがきっとホンネだと思う。

 

 

ただとても皮肉なことに、

僕らは「死」から多くのことを

学ばされるのかもしれない。

 

恐れの対象としての「死」と

感謝の対象としての「死」が存在する。

 

なんとも複雑な心境だなって。

 

 

たぶん僕らは普段生活をしていて

いちいち

「なんで自分は生きているんだろう?」

だなんて考えないだろうし、

ましてや

「自分はいつまで生きられるんだろう」

だなんて考えないと思う。

 

「生きる」か「死ぬ」かなら、

まず間違いなく前者をとるし、

ニュースで何らかの事故で

「誰か」が亡くなった、

ということを聴いてもきっと心を痛めない。

 

 

何が言いたいかと言うと、

それだけ僕らは自分が生きているということを「アタリマエ」だと思っているし、

自分と「死」をアタリマエのように

切り離して生きているということ。

 

 

だから、僕ら人間は「死」について

考えるキッカケが

日常の中にないし、(本当はあるのに)

誰か身近な人が「死」んでしまって

初めて「死」について考える

(考えざるを得なくなる)のだと思う。

 

 

 

僕自身もその例外ではないのだけれど、

ただ「考えること」が好きな僕は

時々思考してみることはあったりもする。

 

 

 

 

たとえば、

「死」というのはどういう現象なのか

ということについて。

 

 

この世に生きとし生ける物は(生き物)

その体内から発される鼓動が止まった時に「死」という烙印を押される。

 

でも僕はそこに疑問を呈したい。

 

 

「生」というのはどんな現象なのか???

 

 

僕は「影響を与える」ということだと思う。

 

対外的な話だけれど。

 

この定義から考えてみると、

「死」とは「影響を与えないこと」

だと言える。

 

 

そう考えてみた時に

「歴史」が頭に思い浮かんだ。

 

 

そう。

 

人の寿命は現在「100年時代だ!」

だなんて言われるけれど、

何百年、何千年と「生きる」人は

存在するということです。

 

織田信長だったり、ソクラテスとかね。

 

かといって、誰しもがそうやって

肉体が滅びてなお、

「影響を与え続けられるか」と言うと

決してそのようなことはない。

 

逆に言えば、この世に肉体があったとして

もしも周りに「人」の存在が

なくなってしまったとしたら

それは果たして「生きている」

と言えるのでしょうか。

 

 

ってな感じでね(笑)

 

こんな感じで、

自分でテーマを設定して

考えてみるというキッカケをあえて

作ってみるのもオモシロイよって話。

 

#いやなんの話だよ

 

 

僕らは日常の中に「生きる」から

その日常の中にはない

「非日常」にはなかなか触れようとしない。

 

「日常」という名の「アタリマエ」の中に

もしも「本当に大事なこと」が組み込まれていなかったら基本的には触れる機会

ってないよねって話。

 

でもそこで

「あーあ、だって機会がなかったんだもん。しゃあないな。」

とするのか、

それとも「機会がないから、

自分で意図的に創ってみよう」

とするのとでは、

またその日常の積み重ねの中で見えてくる

「アタリマエ」にも

大きな差が生まれるのかもしれない

なあって。

 

 

 

結局今回の記事を通して、

特定の「コレ!!!」

という言いたいことってゆーのは

設定していないのだけれど、

きっとこの記事を通してあなたに

何かお届けできるんじゃないかなあ??

ということを信じて

この記事を終えようと思います。

 

 

 

今日はこの辺で♪

 

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