「れおっち」のブログ

あなたに「小さな刺激」をお届けします。

日常の「ありがとう」を増やせば「幸せ」になるって話。

 

みなさんこんにちは!

「れおっち」です(-ω-)/

 

 

いよいよ

今日を乗り越えたら、

明日退院だぁあああ(≧▽≦)

 

 

 

こんなっていざ「終わり」が近づいてみると

なんだかんだ貴重な時間だったよなぁ

だなんて思う自分がいます。

 

#いや都合イイな、おいっ

 

 

人って結構そういう節あるよなあって

思う今日この頃。

 

今まであったものがなくなりそうだったり、

いざなくなってみるとそのものの価値に

気づいたり、有難みに気づいたり。

 

 

なんとまあ、愚かな生き物なのだろうか。

 

 

それっていったいなんで

なんでしょうね??

 

 

なんでそういう現象が起こるんでしょう。

 

学術的にそれを説明することに

モチベーションはないので

僕自身が今までの経験から

「イミづけ」してみたいと思います。

 

 

今日はそんなお話。

 

最後まで楽しんでってくださいな(*´з`)

 

 

 

ーーーーーはじまり、はじまりーーーーー

 

 

 

 

好きな言葉はなんですか?

 

 

これは高校受験の際に面接で聞かれた

質問だった。

 

 

僕はこれに対してこう答えた。

 

 

 

 

好きな言葉は

「ありがとう」です。

 

 

 

まあ、そんなに驚くことなく割と

よく耳にする話だと思う。

 

 

なんで好きなの??と聞かれれば、

当時の僕はこんなって答えていたと思う。

 

 

だって「ありがとう」という言葉は自分も相手も

イイ気持ちにするもの

だから。

 

 

僕はそう面接で答えていた記憶がある。

 

当時の僕が、

その本質に気づいていたかはさておき

今の僕から見た感じ

「まあ、ざっくりつかんではいるかな」

といった印象。

 

 

 

自分自身は

わかった気にはなっているけれど、

それを他の人に説明しろと言われたら、

まだできないかな

といった感じ。

 

 

 

 

そもそも

「ありがとう」という言葉の語源を

考えてみると

 

「有難し」の連用形「有難く」の「ウ音便」かなあ??

と頭に浮かんだ。

 

(たぶん合ってると思う。)

 

 

「有難し」というと、文転浪人時代に

「すばらしい」といった意味で

記憶に残した言葉だ。

 

僕は「丸暗記」が大嫌いで、

「ただ覚える」というのもムリだし、

「いいから覚えろ!」という

先生が嫌いだった。

 

 

#いや、それあれだろ!あなたもわからないんでしょ??

#反抗的ですみませんでした、先生

 

 

だから、僕なりにその「理由」だったり

「意味」というものを

とても大切にしてきたと思う。

 

 

「有難し」はなんで「すばらしい」のか??

 

それは頻度的に

「めったにないことを指す」から

「すばらしい」のだ、ということだった。

 

なるほど。

たしかに「あんまりないこと」なら

素晴らしい!!

ってなるのは腑に落ちる。

 

(古文やっててよかったなあって思うよね。)

 

その「有難し」がカタチを変えたのが

「ありがとう」なのだとすれば、

「ありがとう」への理解も深まる。

 

 

(めったにないから)ありがとう

 

 

 

ここまでくると「ありがとう」の輪郭は

だいぶくっきりしてくると思う。

 

 

まあ、たぶんここまでいちいち考える人ってそもそも少ないと思うのだけど

仮に居てもおそらくここまでで

「思考」をストップするんじゃないかなぁ

と思う。

 

 

もう一歩踏み込んでみようと思う。

 

 

 

じゃあなんで

「頻度が少ないと」

素晴らしいのか???

 

 

 

「頻度」っていうと

「機会」の話だよなぁと僕は思う。

 

 

週に4回雨が降る。

 

と言うと、これは

「雨が降る」頻度が多いよな―って話で。

 

月に1回雨が降る。

 

と言うと、これは

「雨が降る」頻度が少ないよなーって話。

 

これって言い換えるなら

 

「雨が降る」という

「機会」がたくさんあるよねって話。

 

「雨が降る」という

「機会」があんまりないねって話。

 

 

つまり、

「頻度」は「機会」の話だと言える。

 

 

 

「機会」というと、

それが僕らに

どんなことをもたらすかはおいておいて

何かある出来事、

イベントが関わった人に影響を与えるもの

 

ってな感じかなーと思う。

 

僕は往々にしてこの「機会」という言葉を

「キッカケ」という言葉で表現するのが

好きだ。

 

 

「キッカケ」という言葉を使うと、不思議と

その物事が自分にとって

「イイもの」だという印象を受ける。

(錯覚なのかもしれないけど、

効果はあると思う)

 

 

僕は基本的に物事の

「イイ面」と「ヨクナイ面」がある時に

どちらの側面も「イイ方向」に

もっていこうとする傾向がある。

 

特に「ヨクナイ」ことから「学び」を

抽出することがオモシロイと思う。

 

 

自分の視えていなかった

世界が拡がっていく感じがオモシロイ。

 

 

「キッカケ」というものを

もう少し深堀ってみる。

 

 

僕は大学生になってから

英語をめちゃめちゃやり始めたんです。

「英語」をコミュニケーションツールとして扱えるようにしたかったから。

 

どうしたらいいか?

自分は小さい頃どうやって

日本語を覚えたか?

 

たくさん聴いて、たくさん話すことだった。

 

たくさん読んで、

たくさん書いたわけではない。

 

でも日常の中に「英語」を話す機会なんて

なかった。

 

じゃあどうするか??

 

キッカケを自分で創ればいい。

 

てなわけで、

自分にできる限りとにかく機会を増やした。

大学の授業も英語に纏わるものを半分以上、

大学の空き時間には英会話、

それでも足りないと思った時には

渋谷駅の改札の中で

困ってる風の外国の方に自ら声を掛けに

行き、勝手に案内係をやってみたり。

 

 

二年次の秋学期には十分英語を使って

コミュニケーションをとることが

できるようになっていた。

 

この経験から「キッカケはないのではなく、創るものだ」と知った。

 

その後は英語サークルの幹事長として

他の人に対してキッカケを創ることに

注力した。

 

自分がキッカケを創る側になって

思ったことは

「ああ、キッカケの裏側には必ず『誰か』の存在があるんだな」ということ。

 

それって「なんて有難いことなんだろう

と思った。

 

 

この時、僕の中で

「ありがとう」の真意を体得したのだと

思う。

 

そっか。

 

「誰か」が何かの「キッカケ」を

創ってくれること自体

アタリマエじゃないのか。

 

それって、

めったにないことなんだなあって。

 

 

しかし、哀しいかな僕ら人間はその

「アタリマエ」じゃないという「当たり前」になかなか気づくことのできない生き物だ。

 

なぜなら「アタリマエ」の中に生きていて、

それが「特別なものであること」を

疑いもしないから。

 

やっぱり自分らの信じているものを

「絶対」だって思いたいし、

「疑う」こととか「考える」ことって

ぶっちゃけエネルギー使うから

メンドクサイですよね。

 

 

でもね。

 

何度も何度もアタリマエを壊していくうちに

「アタリマエなんてないんだ」ということを知った。

 

そして、不思議なことに

「アタリマエがない」が前提になると

色んなことに対して

「ありがたいなあ」って

「感謝の芽」が生まれたんよね。

 

その芽はカタチにして初めて

イミを為す。

 

枯らさないように。

 

だから、僕は今日も伝える。

 

 

最後まで読んでくれて

ありがとう。

 

 

 

 

今回はこの辺で♪

 

 

 

あ、最後に余談を少々。

 

「ありがとう」という意味で

「おおきに」という言葉もある。

関西圏でよく使われるやつ。

 

この「おおきに」という言葉についても

考えてみたところ

「大きなり」の連用形で

「おおきに」かなあ??

と思ったわけなのですが、これに関しては

本当に勝手なイミづけします。

 

(あなたがしてくれたことは自分にとって)「大きいですよ」

という気持ちを表現するときに僕は意図的に

「おおきに」と言うようにしています笑

 

世間からみたら

大したことじゃないかもしれんけど、

自分にとっては嬉しいことって

あるじゃないですか。

その気持ちを表現するときには

「おおきに」って言うんです( *´艸`)

 

こんなって自分なりに

「イミづけ」するのもオモシロイので

ぜひぜひおすすめです(-ω-)/

 

では!

 

 

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