「れおっち」のブログ

違いがあるからこの世界はオモシロイ。

あなたの何気ない日常に非日常をお届けするブログという名のキッカケ。

ばあちゃんはガンになってもばあちゃんでした。

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みなさんこんにちは!「れおっち」です(-ω-)/

 

僕は今、昨日一昨日の二日間の壮絶なバイト

(二日の合計労働時間23時間)

を終え、優雅に自宅オフィスで

記事を書いています。

 

#イイ感じのデスクを買ってオフィス化

してきた

 

 

本当にいきなりではあるのですが、

タイムリーな出来事について少々。

 

一昨日の一つ目のバイトと二つ目のバイトの

間の隙間時間にばあちゃんと久しぶりに

電話で話した。

 

 

「ばあちゃん」と言うのは母方の祖母のこと

で、じいちゃんとばあちゃんは茨城に住んでいる。

 

※ちなみに、父方の祖母と祖父は

「ババ」と「ジジ」と小さい頃から

呼んでいる。

 

 

別記事でちゃんとまた書くけれど、

母子家庭で育った僕にとって

当然のことながら母方の祖父母の家に行く

頻度の方が高くなるわけで、(茨城で簡単にいける距離ではないんだけれど)

中でも

僕は所謂「ばあちゃんっ子」なのです。

 

特段、深い話をしたりする場面はそんなに

あったわけじゃないのだけれど

ばあちゃんの作った「おいなりさん」が

大好きだった。

 

たぶん、「おいなりさん」によって

ばあちゃんの家来になったようなもんだと

思う。

 

 

#ももたろうでいう「きびだんご」が

「おいなりさん」だったパターン

#でも一つじゃ足りないッス

 

ばあちゃんに

「何食べたい?」と聞かれると、

必ず「おいなりさん!!」と言って

一人で20個ほど平らげる。

 

ばあちゃんの「おいなりさん」は

本当に美味い。

 

 

そんなばあちゃんがガンになった。

 

 

 

 

ばあちゃんちにお盆や年末年始に行くと、

ばあちゃんは毎日毎日、

日蓮宗のお経を唱えていた。

 

「南無妙法蓮華経~」ってやつ。

一度は聞いたことあるかもしれない。

 

「こっちにおいで」と言われて

何度か一緒にやらされたことあったけれど、

難しい漢字ばかりで、

意味も分からなかったし、

会館ではみんなでお経を一斉に読む

奇妙な光景にゾッとしてしまい、

一緒にやるのをやめてしまった。

 

 

ばあちゃんに「なんでそんなことやるの?」

と聞くとばあちゃんは決まって

言うのだった。

 

「みんなの健康や幸せを祈ってるんだよ。」

 

 

 

そんなばあちゃんがガンになった。

 

 

 

 

こんなって書いていると、ばあちゃんに

纏わることが色々思い起こされていく。

 

 

はっきり言って、普段から

ばあちゃんのことを考えているか??

と聞かれると、

全然考えられていないなって。

 

親や弟のことも。

 

友達のことも。

 

よくよくこんなって

冷静に振り返ってみると、

自分は身の回りのことで

精一杯になってしまっているんだな、

ということに気づかされる。

 

 

まあ、そういうもんでしょ!みんな。

 

そう言ってしまえば

それで済む話なのだけれど、

そうはやっぱりありたくないなあ、、、

としみじみと思ってしまう。

 

かと言って、「今まで」を振り返って、

後悔しても何にもならないわけで。

 

だったら、「今から」を大事にしよう。

 

そう思う。

 

「今まで」は確かに全然できていなかった

かもしれないけれど、

これから大事にしていこう。

 

 

とりあえず、

「思い立ったが吉日」じゃないけれど、

「敬老の日」も近いことだし、

手紙でも書こうと思う。

 

→ 今日便箋買った!!

 

あと、一つ決めたのは

「ばあちゃん」をモチーフにした

「絵本」を制作して

この世界に残そうということ。

 

 

そんなって少しずつではあるけれど、

日常の中に「自分」以外の

大切な人についてもう少し考える時間を

入れようと思う。

 

いや、どちらかと言うと

自分の好きなことと

大切な人を結びつける時間を

もっと増やそう、かな。

 

 

で。

 

やっぱり「ばあちゃん」がガンになったと

聞いてショックはショックだったのだけれど

1つ拍子抜けすることがあった。

 

というのも、当の本人は

「ふーん」みたいな感覚でいる、

という事実だった。

 

 

ばあちゃんに比べたら、

24年だなんて

「若僧」の部類に入るのだろうけれど

24年生きてきた僕からしたら

「ガン」と聞いたら絶対に動じてしまう

と思う。

 

しかし、

当の本人はなぜだかケロッとしていて、

「まあなぁ、たぶん治るでしょうから?

あんまり悲観的になっても仕方ないよ~」

と言っていた。

 

 

ちょっとばあちゃん、

スゲーと思った瞬間だった。

 

なんだろう、前々からばあちゃんは

あんまり物事に動じたりしないタイプ

だったし、なんならもうちょっと

考えたら?!!とツッコミを入れたくなる

ようなことが多かったのだけれど、

今回ばかりは恐れ入りました。

 

そうか。

 

それがばあちゃんなんだな、って。

 

ばあちゃんのこと大事だという感覚は

もちろんあったけれど、

そこに「尊敬」をいう感覚が

自分の中にしっかりと芽生えた瞬間だった。

 

 

そうか。

本人が悲観的にならないでおこう!

って言っているのに

いくら血のつながった家族とは言え、

そこでぼくが悲観的になるのは

お門違いなのかもしれない。

 

そう思わされた。

 

 

 

ぼくのばあちゃんは

ガンになっても

「ばあちゃん」

だった。

 

 

とりあえず、

病が消え去るだけは祈りつつも、

僕がやるべきことは「あーどうしよう」

と頭を抱えることなんかじゃなくて

ばあちゃん、という存在が

自分にとってどんな存在なのか整理し、

そしてそれを自分らしく何らかのカタチに

落とし込むことなんじゃないか、

そんな風に思うのです。

 

まずは、手紙書きます!

 

 

今日はこの辺で♪

 

 

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