「れおっち」のブログ

違いがあるからこの世界はオモシロイ。

あなたの何気ない日常に非日常をお届けするブログという名のキッカケ。

「教育」について考えてみる話①ー「教育」の本質ー

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みなさんこんにちは!「れおっち」です(-ω-)/

 

今日を終えたことで、年末年始5連勤のうち

やっと80%が終わった(´Д⊂ヽ

明日一日でとりあえず一息はつけそうです。

 

さて、今日は何について書いてみようか?

 

と考えてみたところ

一つ僕の中にあるデッカイテーマについて

まだそんなに触れたことなかったな~

ということに気づきました。

 

 

ということで、2022年は新しいジャンル

始めます!!!(笑)

 

その名も!

 

「教育について

考えてみる」

シリーーーーズ!!!

\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

なんともまあ、

創意工夫の「そ」の字もないというか。

 

「意匠を凝らす」の「い」の字もない

というか。

 

「身も蓋もない」とはこのことか!!!

と叫びたくなるネーミングセンスだなおい!(゚д゚)!

 

 

 

いやね、

実はちらーっと年末にお話したのですが

なにせ「教育」方面の事実上の「内定」を

いただいてしまった以上

そこは避けては通れないと言いますか。

 

やっぱほら、

仮に自分が「教育」を施す側になるのならば

それはその相手(生徒とか)よりも

自分が学び続けたいじゃないですか!

 

自分は天狗になって今持っている情報を

提供するだけで満足するような

人間にはなりたくないと言いますか。

 

一言で言えば、

そんな大人カッコ悪いよねって思うのです。

 

だから今回からとりあえず現状どんなことを

考えているのかを整理する意味でも、

これから違う情報を付け足していく上でも、

カタチにしてたほうが

色々とオモシロそうだなって思うのです。

 

ということで、ちらほら「教育」をテーマに記事を書いていこうと思います!

 

 

初回はやっぱりこのテーマ!

 

「そもそも

『教育』って何??」

 

 

というお話。

 

ここの大前提がフワフワしていたり、

的外れだったりすると

その上に乗っかってくる話全部が

オカシイことになってくる!

 

最初にして実は一番大事なんじゃね?

ということについてつらつらと書いてみる。

 

 

いつもの如く、

「そもそも」を考える時には

まずその言葉自体に着目する。

 

「教育」という

漢字を眺めていて

あなたならどんな

送り仮名を

振りますか?

 

 

 

 

僕が思うに、他の国は一旦脇に置いた上で

日本における「教育」だとするならば

「教え育てる」だよな、というのが

一般的な回答だと思うのです。

 

 

 

「教え育てる」のが「教育」だ!!!

by日本

 

 

日本のスタンスはまさにコレだと思う。

※まぁ高度経済成長期においてはむしろ

それがあってめちゃめちゃ壮大な計画経済

があったからその「教え育てる」によって

今の日本はあるわけではあるんだけれども。

 

 

あえてこの前提が(今の時代に)合ってる体

で話を進めてみるけれど、

じゃあ次に浮かぶ疑問は

 

「誰が?誰を??」

というお話になる。

 

 

これは細かく観たら

正直無数に場面があるので何とも言えない

けれど、大きく分けると三つになると

れおっちは考えております(-ω-)/

 

 

それが

①家庭

②学校(塾)

③企業 の三つ!!!

 

 

中でも「ザ・教育」と言えば

②の学校(塾)は満場一致で頭に浮かぶ

「教育機関」なはずで。

 

その次に①と③が五分五分から七対三くらいのイメージかと思います。

 

 

 

ではそれぞれの主体(施す側)と

客体(施される側)を観てみます!

 

①主体:保護者

→客体:子ども

 

②主体:先生

→客体:生徒

 

③主体:上司

→客体:部下(新人)

 

といった具体。

 

 

こうやって視覚的に観てみると、

一目瞭然なのが

基本的には「教育」というのは「社会的地位が強い者」が「社会的地位の低い者」に

して施されるもの

だということがわかります(゚д゚)!

 

 

今でこそ、「年下」が「年上」の上司!

みたいなことは少しずつ日本の中でも

スタンダードになる方向ではありますが、 なにせ儒教の影響を多大に受けている日本。

 

「年上を敬いなさい」的な発想が

未だに根強~くあるわけです。

 

※ちなみに、れおっちは

「今の日本を創ったのは紛れもなく

僕が生まれるより前の世代の方々で、

世界的に観て日本は豊かな国であることも

また事実。その意味で、たくさん

自分のやりたいことに悩んだりできる基盤を創ってくれたそういう意味での「先輩方」には感謝したいと思ってるし、

その「先輩方」が築いた「日本らしさ」は

大事にしていきたいって本気で思っている ことを付け加えておきます。

 

「年功序列」だとか

「先輩後輩文化」だとか、

「子は親の言うことを聞くべき」だとか。

 

そういったことからも象徴されるように、

「社会的強者」が「社会的弱者」に施す営み

が「教育」である、というのは

間違いないのではないでしょうかっ!

(現状)

 

 

さて。

 

今のところ整理してみると、

 

「教育」とは

「社会的強者

(先生・親・上司

など)」が

「社会的弱者(生徒・子・部下など)」

を教え育てる営み

である。

 

と言える!!!

 

#お、段々と具体的になってきたぞ

 

 

さて。

 

とすると、ここでさらに浮かぶ疑問は

 

なんのために?

 

というものがでてくる。

 

 

①家庭においては

「愛する我が子が

幸せであるために」

 

②学校においては

「生徒が将来社会で

活躍できるように」

 

③企業においては

「部下が会社に貢献

できるように」

 

 

といった目的がパッと思い浮かぶし、

れおっちとしても

教育現場に多少なりとも身を置いていたり、

(3年ちょい)

聞いた話だったり、

実際に先生の姿を見てたり、

そういったことを総合的に鑑みても

日本全体として大方そういう方向性

を持っている国だと思う。

(というかそう信じたい)

 

 

現場の人間は一生懸命やっているような印象を受けるにもかかわらず

 

ナニカガオカシイ・・

 

そんな想いが否めないのが正直なところ。

 

仮に大方の「教育を施す側の人々」が

この想いの下行動したのだとしたら

それこそ、日本には

愛されたことによって自己肯定感が高く、

そしてバリバリとやる気に充ちて

会社に仕事をしに行く!!!

 

そんな若者でいっぱいな気がするし、

子どもたちにとっての未来って

めちゃめちゃ明るく感じられる社会

なように思う。

 

 

れおっち自身はこの「目的」に関しても

本当は政府の意図が別にあると

考えてたりするのですが、今回はあえて

そこには触れずに話を進めます。

 

 

どうも現在の日本社会

(特に、若者を取り巻く環境)というのは

この理想とも言える状態と相反するような

現実が横たわっているように感じられる

のです。

 

 

それはなぜか???

 

 

れおっちはその理由が

「前提の捉え方を間違えてしまっているから

なのでは?」と考えています。

 

 

つまり!!

 

 

最初にも触れたわけですが、

「前提がオカシイ」から

その上にいくら一生懸命積み上げたとしても

「オカシイこと」が起こってしまうのでは

なかろうか?というお話なのです。

 

※細かいことは少しずつ触れていくので

今回は大枠に留めます

 

 

じゃあ、

れおっちだったら

「教育」に対して

どんな送り仮名を

つけるんだい??

 

 

というお話になるのですが、ズバリ!!!!

 

れおっちならこうします!!!

 

「教え育つ」

 

→「誰が?」となった時に

「主体」もまた教え育つと捉えられるし、

「育つ」の主体が「生徒・子ども・部下」と

捉えれば「じゃあどうやって育つかな?」

と「育てる」という意味だったときよりも

意識しやすいんじゃないかな?

と思うのです。

 

 

いや、もっとホンネを言っちゃうと

そもそも「教」の字を使っているから

「Education」から真逆の方向へ行っている

とさえ考えています。

 

※ちなみに「Education」は「educate」

(動詞)の名詞形。

 

元々はラテン語の「EDUCATUS」

→「e」は「外へ」/「ducere」は「導く」

つまりは「外へと導くこと」が「Education」

 

 

じゃあどんな字を充てるべきか?

 

 

れおっちは

「Education」は

「共育

(きょういく)」

だと考えています!

 

 

つまり。

 

「共に育つ」

 

この意識こそが「Education」の本質

なんじゃないかと思うのです。

 

教える側(何かを伝える側)も育とう!

とすることで自分も育つし、

そんな教える側を見た教えられる側もまた

結果的に育つのではないか?

ということです。

 

 

なんでこの意識になったか?

というのは僕自身のとある塾でコーチングに

携わらせてもらったことがキッカケ

なのですがそれはまた別の機会に。

 

 

 

ホントは

このまま書きたいことがあるのですが、

既に3000字を越えてしまっているので

それはまた次回に回したいと思います

( *´艸`)

 

 

いかがだったでしょうか?

 

日常の中でわざわざ考えないことを

あえて考えてみるキッカケというのは

自分で創らない限り

基本的には訪れてくれません。

 

 

そんなあなたに新しい風が少しでも届いたらいいなぁ!

そんな想いで

今日も僕はつらつらと筆を取るのです。

 

それでは今日はこの辺で♪

 

 

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