「れおっち」のブログ

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「教育」について考えてみる話②ー主人公は誰?ー

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みなさんこんにちは!「れおっち」です(-ω-)/

 

今日は朝からゆっくりとして、

えりなをバイト先へと見送り、

歯医者へ行き、

絵本に関する会議をzoomでし、

そして現在お家でつらつらと文章を

書いている次第でございます。

 

#ちなみに歯医者で

「近いうち親知らず抜くからねん」

と死刑宣告されました

#全力でビビってます

#ぴえん

 

 

 

さて。

 

今回もまたこのジャンルについて

書いていきたいと思います!

 

「教育について

考えてみる」

シリーーーーズ!!!

\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

 

 

毎度毎度お馴染みではありますが、

前回のお話を読んでもらってから

続きものとして読んでいただけると

よりオモシロくなっていきます!( *´艸`)

 

 

shizhonglingyang.hatenablog.com

 

 

↑ えっなんかたくさんスターついてるぅ!

うれぴー(*´з`)

 

 

それでは最後まで楽しんでいって下さいな♪

 

ーーーーーはじまり、はじまりーーーーー

 

 

 

 

さてさて。

 

前回のお話では

二周りしか生きていない若僧が、

「教育の本質ってこうじゃね?!!」と

大口叩いていたわけですが

今回もまた畳みかける様にして

大口叩いていきたいと思いますっ!

 

大大口叩いちゃいますっ!

 

 

今回のテーマは

「教育における主人公って誰?」って話。

 

 

前回のお話の中で、Educationという営みは

「共に育つ」というスタンスが

大事じゃね?!!

 

とまとめたわけなのですが、

そこでは触れきれていなかったことについて

触れてみます。

 

それが「教育における主人公って誰?」

問題ですっ!

 

 

前回もお話したように、

「教育」は往々にして

「社会的地位の高い者(先生・親・上司)」

から

「社会的地位の低い者(生徒・子・部下)」

に向けた営みであることが多い

ように思うわけなのですが、

それって言い換えるならば

「教育を施す側」が

「主人公」であるように思えてきませんか?

というお話になる気がする。

 

 

というか、実際問題

本人の自覚があるかは置いておいて

「教育を施す側」には少なからずそういった意識が芽生えてしまうのでは

ないでしょうか。

 

逆に言えば、それは「教育を受ける側」も

またその状況を認めてしまっているような

側面もあるのではないか?

とも捉えられるわけですが。

 

それはやはり「教育」が「教え育てるもの」

という社会全体における風潮が

そうさせているのだと考えています。

 

だから、個々人の誰が良い・悪いのお話ではもはやなくなっているよねということです。

 

社会システム、歴史からくる構造のお話

なのだということです。

 

 

ここでもう一度、「教育」について

その営みの目的について考えてみたいのです(-ω-)/

 

 

主体が「社会的地位の高い者」になりやすい

「教育」において

(というかそもそも社会というのは権力者が動かしてるのである意味当然)

「教育を施す側」の目的は何なのか?

 

基本的には「教育を受ける側」が教わった

ことをできるようになること、であるはず。

 

親が「挨拶はしなさい」と言ったとしたら、

親は子が「挨拶をできるようになる」

状態を望んでいるはずで。

 

先生が「この問題はこう解くのです」と

言えば、先生は生徒が「問題を教えた通りに

解けるようになる」状態を望んでいる

はずで。

 

上司が「こういう時は、こうすればいい」と言うのは、上司は部下が

「仕事を助言無しにできる」状態を

望んでいるはず。

 

 

つまりは、

(今回は教育の規模間を「私」に限定する)

基本的には

「教育」の目的というのは

「対象の自立である」と言えるわけです。

 

 

ここでツッコミを入れます。

 

「自立」の主体は誰?

 

 

 

そう。

 

「自立」の主体は

あくまでも、

「教育を受ける側」

なのです!!!

\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

 

これそんなん当たり前やんけ!

と思うかもしれませんが、

現実問題当たり前すぎて、

ここを意識してる「教育者」っていったい

どれくらいいるんでしょう??

 

言われてみればそうなんだけれど、

ここが無自覚になってたりしませんか?!!

 

というのが僕が指摘したいポイント。

 

 

つまり、

「教育」における

主人公はあくまでも「教育を受ける側」

なのです。

 

 

このことをいかに「教育を施す側」が

意識しながら「教育」に携わるかが

1つカギになってきそうです。

 

そしてもう1つ!!!!

もっと大事なことがあります!!!

 

それは「教育」に

おける主人公は

「教育を受ける側」

であるということを

最も意識すべき

なのは、実は

「教育を受ける側」

であるということ!!

\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

 

 

「教育を施す側」の人は基本的には

めちゃめちゃ一生懸命伝えようとする人だと

僕は考えています。

 

だってそうでしょ??

 

世の中には「なんでそんなこと、

いちいち他人に教えなきゃいけねーんだ!

メンドクサイ!!!」

と思っている人が半分以上いるはずで。

だって先生半分より少ない←

 

自分のことは自分!他人は他人!!!

 

という視点に立てば、

別にそれは悪いことでもなんでもなくて

「だよね」というお話なのです。

 

しかーーーーーし!!!!

 

世の中にはわざわざ自分の時間を割いて

まで、人に何かを伝えようとする人間が

一定いるのです!!!!(笑)(笑)(笑)

 

客観的に考えたら、え、なんで??

ヘンタイなの???(*´з`)

と言わざるを得ません。

 

#ヘンタイのみなさん!大好きです!

 

でもね、はっきり言って

いくら「教育を施す側」が一生懸命に

何かを伝えようとしても

「教育を受ける側」がそれを

「よっしゃ!受け取ったるぜい!!」

という姿勢がなければ、

一ミリも伝わらないのです。

 

#あ、もちろん伝える側の伝え方だったりも

あるので一概に受けとる側の問題だとは

思ってません

 

 

「教育を受ける側」のスタンス次第で、

100時間かけて伝えようとしたことも

水の泡になることもフツウに起こり得る

というわけです。

 

馬に水辺まで連れていくことはできる

けれど、

馬に水を飲ますことはできないのです。

 

(教育を施す側の限界)

 

それ以上は「教育を受ける側」の問題。

 

大学の教授の話がツマラナイと

ただ言っている大学生がちらほらと

見受けられるけれど、

#いやまあ、たしかに明らかにツマラナイ

時もあるのだけれど

その話にどんな「イミづけ」をするかは

あくまでも自分次第なわけでして。

 

たとえば、「どうしてこの教授の話は

ツマラナイと感じるのか」を考える

キッカケにしてしまって、

それを授業中に調べるとかね(笑)

 

そんな具合に、提示されたものをいかに

工夫してオモシロがるか、が

結局は人生楽しむうえで 

めちゃめちゃ大事なんじゃないか?

と思っている若僧れおっちです。

 

→だってこれできれば、世の中に

ムダなことってないもん。

 

 

だーーーーーーっと書いてしまったので

ザっとまとめて終わります!

 

「教育」における

目的は「教育を受ける側の自立」であり、

「教育を施す側」は

それを意識した上で

行動するのが大事。

 

そして、

自分自身のためにも

「教育を受ける側」は自身がその場において主人公であることを

自覚し、そこに自分で「イミづけ」をする

ことが、人生

楽しんでいく上で

大事なんじゃね??

 

というお話でした!(笑)

 

 

こうやって考えてみた時に、

じゃあなんでまたそういう風潮が

日本社会にはあるんだろう?だとか、

「学ぶこと」に対するモチベーション

低くなりがちなのはなんで?

だとか。

 

たくさん疑問が湧いてくるのですが、

それはまた別記事で♪

 

 

今日はここまで♪

 

 

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