「れおっち」のブログ

あなたの毎日に「ちいさな刺激」をお届けします。

あなたの何気ない日常に非日常をお届けするブログという名のキッカケ。

「正義」の扱い方を考えてみる話。

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みなさんこんにちは!「れおっち」です(-ω-)/

 

本日はまるまる一日お休みということで、 お昼過ぎまで爆睡してしまいました( *´艸`)

 

#ちなみにえりなはまだ寝ています・・・

苦笑

 

起きてから大学の講義を1つ受けて、

今に至るわけですが

そんな講義の中で触れられた

「正義」というものについて。

 

ちょっと思うところがあるので 

つらつらと書いてみよう!

 

そんな想いで書いていきマス"(-""-)"

 

 

日常の中でいちいち

「正義ってなんだろうね?!」だなんて

考える変態はきっとぼくくらいでしょう。

 

そうすると、わざわざ

「正義について考えるキッカケ」というのは

どうしても非日常になりがち。

 

 

この記事を通して

僕と一緒に普段考えないこと、

を考えてみるキッカケにしてみてもらえたら

なによりも嬉しい限りです( *´艸`)

 

 

それでは最後まで楽しんでいって下さいな♪

 

 

ーーーーーはじまり、はじまりーーーーー

 

 

 

 

 

「勧善懲悪」

(かんぜんちょうあく)

 

 

 

この言葉を耳にしたことはあるでしょうか。

 

 

中学時代に習った「いつ使うんコレ?」

という「漢文の考え方」を使ってみると

知らない言葉だったとしてもある程度、

意味がわかってしまう。

 

#え、漢文使えるやんけ!フツウに!!!

 

 

 

 

ついついツイートしてしまいました。

 

#ついついついーと

 

あ、そんなことしてたらウチのお姫様が

むくっと起きてきました(笑)

 

たぶんここからはお姫様とお話したりする

ので、一旦ここでストップ。

 

あとでカフェにでも行って続き書きます。

 

 

 

さて。

 

僕は今、えりなと一緒に駅近くの

サイゼリヤにて記事を再開したところです。

 

ちなみにえりなも僕もサイゼリヤのことを「サイゼリ」と呼ぶのですが、

中高生の頃、友達の前で「サイゼリ」

と言っていたら

 

「いやそこまで言うならサイゼリヤまで

言えよ!(笑)」

 

とツッコミを入れられたのが懐かしいです(笑)

 

一般的には「サイゼ」なのでしょう(゚д゚)!

 

 

 

話が逸れたので戻します。

 

 

「勧善懲悪」に所謂

「返り点」を振って読んでみると

 

「善を勧め、

悪を懲らしむ」

 

 

となるわけで。

 

ナルホド。

 

これならば、確かに意味を知らなくても

ある程度意味が想定できる。

 

「善い行いは賞賛し、悪い行いには 

罰を与えて取り締まろうぜ!」

 

ということなわけです。

 

 

まあ、この「勧善懲悪」の概念は

特に日本では好まれる考え方だよなー

というのが率直な感想。

 

 

たとえば「アンパンマン」だとか、

「仮面ライダー」だとか、

「プリキュア」だとか。

あと「ウルトラマン」もそうですね!

 

もう少し年代を上げると

「暴れん坊将軍」「水戸黄門」

といった作品に共通してみられるテーマが

「勧善懲悪」の世界線。

 

 

ストーリーラインは単純明快で。

わかりやすい「悪者」が登場して、

「悪者」が町の人々(弱者)を困らせる。

 

そんな「悪者」をやっつける存在として

「正義の味方」が現れて

颯爽と「悪者」を退治する。

 

晴れて、平和な世の中を取り戻すことが

出来てめでたし、めでたし。

 

 

そんな世界線を描くのが

「勧善懲悪」なわけです。

 

 

かく言うぼく自身も「仮面ライダー」を

始めとする「勧善懲悪」な世界線に

小さい頃から浸り、そして何の疑いもなく

その面白さを享受してきました。

 

 

だが! 

しかし!!

BUT!!!

 

\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

 

大学生になってからかな。

 

少しずつ、物事を色んな角度から

考えるような習慣がつくようになり、

少しずつ、今までは視えていなかった

世界が視えるようになってく過程で

気づいたことがありました。

 

 

それは

 

 

「正義」というのは

モノサシの数だけ

存在するんだ!

 

 

ということ。

 

 

人はそもそも異なった 

バックグラウンドの中で生きてきたわけで、

その中で独自のモノサシ(物の見方)を

創り上げていく生き物。

 

そのモノサシは自信を取り巻く環境によって

影響を受けるという意味で、

同じ文明・文化圏に生活する人同士の

モノサシは近くなりやすいという特徴は

ある。

 

それがたとえば、日本だと「勧善懲悪」的なモノサシが好まれやすいとなるわけ

なのだけれど。

 

他の文明・文化圏の人々からすれば

同じ作品を観たとしても

 

「ウルトラマンだって

町壊してるやんけ!!」

 

「怪人だったら

殺してもいいのか?」

 

そんな意見が飛び交うことにもなり得ると

いうことです。

 

 

 

基本的には文明・文化は

自身の出生国だったり、

育てられた国の価値観を

内在化させていくわけなのだけれど、

当然ながらその価値観をベースにしつつも

僕ら人間は一人一人異なった価値観を持った

生き物なわけです。

 

 

つまり、そういうミクロな視点で観てみると

 

僕ら人間は

一人一人が異なった

「正義」を持ち合わせているということ。

 

 

だとするならば、一つツッコミを入れたく

なってくることがあります。

 

 

「勧善懲悪」における

「善」と「悪」というのは誰が何を以てして「善」とし、

「悪」と決めたのか?

 

ということです。

 

 

 

基本的にはその社会における

「善」だったり、「悪」だったりは

その社会の大多数の人(マジョリティ)が

採用している考え方に基づいて形成される

ものだとれおっちは考えています。

 

※シンプルに大多数の考え方が正しいよね!

ってこと

 

 

ヨーロッパ諸国の多くは

「キリスト教」をベースとし、

イスラーム諸国は当然「イスラム教」

だったり、という具合にです。

 

 

ここで注目したいのは

「マジョリティ」ではなく、

その「善」から排除されてしまった人々

(マイノリティ)の存在です。

 

 

彼らには彼らなりの

主義信条が存在するわけで、

その考え方に基づいて

一生懸命生きているわけです。

 

 

そういったマイノリティ側の人間は社会的に

「悪」と見なされてしまうわけなのですが

はたして、そうやって安直に

「彼らは悪だ」と決めつけるあり方は

正しいのでしょうか。

 

というか、そこから生まれるものって

幸せな世界線なのでしょうか?

 

 

ぼくは情報コミュニケーション学部で

様々な物事を、様々な角度から考える

時間を取ってきましたが、学べば学ぶほど

「アタリマエが存在しない」という

現実と対峙してきました。

 

 

もちろんまだまだ僕が知らないことは

世の中に山のようにあることでしょう。

 

しかし、

現時点で既に確信していることがあります。

 

それは

「一つのモノサシ」で、つまり

「たった一つの正義」でその他の物事を

「間違っている」

「悪だ」と決めつけることほど愚かなことはないということです。

 

 

それはあまりにも無知な行為で、

そしてあまりにも哀しいモノサシです。

 

 

そうやって「一つのモノサシ」で

「他のモノサシ」を排除してしまうことは

簡単だけれど、ぼくはそういう

「モノサシの扱い方」はしたくない。

 

だってそんなのツマラナイから。

 

どうせなら、もっとオモシロイ

「モノサシの扱い方」をしたい。

 

僕ら人間には

「異なったモノサシ」があるからこそ、

お互いに助け合えるし、

学び合えるんじゃないかなあ?

 

と思うのです( *´艸`)

 

 

という僕の「正義(モノサシ)」もまた

ダレカにとっては「悪」になりうる

わけなのですが⋯笑

 

少なくとも僕はその「正義」を誰かに

押し付けることはしないようにしよう。

 

でも、ただ押し付けないのも

ツマラナイから提示はしてみよう!

 

(そうすればそのモノサシから何かを

得てくれる人もいるかもしれんわけで。

それはオモシロイよね。)

 

 

そんな想いで今日もまた僕は筆を取る

のです。

 

 

今日はここまで♪

 

 

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