みなさんこんにちは!「れおっち」です(-ω-)/
本日は午後からバイトなので比較的ゆったりとした時間を過ごしています。
えりなが導入したデスクトップで書く初めての記事になりますが、めちゃめちゃ画面が大きくてまるで映画をスクリーンで観ているかのような迫力を感じながら筆がすらすらと進みます( *´艸`)
こんな感じ。
さて、前置きはこの辺にしておいて本題に入っていきたいと思います(゚д゚)!
今日はぼくが思うオモシロイ世界ってこんなんで、逆にツマラナイ世界ってこんなんだよというお話です。
#誰得デスカ
みなさん自身も、何気なく生きているこの世界。(日本が多い思うけれど。)
なんとな~く、
流れに乗って生きていくのもまた一興。
どうせ住むなら「こんな世界がイイじゃないか!!」とするのもまた一興。
そんな捉え方もあるんだな~と自分の考えのモノサシを増やすつもりで最後まで楽しんでみてもらえると嬉しいです(*´з`)
ーーはじまり、はじまりーー
単刀直入にお伝えすると、ぼく的には今の世の中は非常にツマラナイなあ、と日々感じています。ツマラナイし、なんなら今のままいったら日本はどんどん周りの国に追い抜かれていき、どんどん貧しくなっていく人が増えていくという危機感さえ覚えています。もちろん自分も含めて。
今でこそ、経済大国として知られていて物質的に物凄く豊かな国であるはずなのに。
なぜか日本に住む人々は心から毎日を楽しんでいるようには思えないのです。
それはどこからくるツマラナさなのでしょうか。
日本に見切りをつけた一部の富裕層は市場として終わってきていることを感じ、少しずつ海外へと進出を始めているそうです。
ぼくは富裕層なんかではないけれど、ただのしがない大学生ではるのだけれど。
一つだけ思っているのは、日本人にせっかく生まれたのだから、自分がお世話になった国がよりよくなる動きはして死んでいきたいなあというのが正直な今の気持ち。
だって仮にお金持ちになれたとして、なんで自分がお金持ちになれたの?と考えたときにはその根本には「日本」という環境の中で様々なことを感じ、考え、気づくキッカケを得られたことがあると思うから。
にもかかわらず、「日本はオワコンだから」という理由で別の国に行けばいいや、という生き方はぼくはツマラナイと思うのです。
ここで大事になってくるのが、じゃあどうやって日本をもっとオモシロくしていけるか??という問い。
そして、そもそもオモシロさって何?という問いです。
〇オモシロさとは
散々使っているこの「オモシロイ」という概念。意味することはなにか。
一言で言うならば、「らしさ」という概念に近い。
「日本らしさ」「れおっちらしさ」「えりならしさ」といった具合。
(絵を描いていることもあって「らしさ」を「色」と言ったりもします)
「らしさ」という概念はその対象のルーツ、背景、バックグラウンドから少しずつ築かれていくもの。
その各々が持つ過去や歴史によって、考え方や捉え方や感じ方、価値観に「違い」が生まれる。その「違い」こそが「オモシロさ」の源泉だと思うのです。
逆にこの「違い」が統一されていけばいくほど、「オモシロさ」は減っていき
「ツマラナさ」が増えていく。
もちろん、統一されていくことによって連帯感や安心感といった「良い」とされる側面もあるわけだから一概に「正しい・間違っている」だとか「良い・悪い」だとかとは言えないわけですが(*´Д`)
〇なぜ統一されていくのか
世界レベルでも物質的に豊かとされる日本がどこか息苦しかったり、楽しそうじゃない人々が多い理由が(つまりツマラナイ理由が)「統一」に大きくかかわっているとして。
じゃあなんで「統一」されていったのか?という新たな問いが生まれます。
本来、人は「違うのが当然」であるはずなのにそれが「統一(同じ)」になっていくのは不自然なこと。
ということはそこには多くの人が同じような体験をした「何か」があったに違いない!
それが一言で言うなら「教育」なのではないでしょうか、ということになるわけです。
ここではあんまり詳しくは言及しませんが、ざっくり「教育」によって「同じであれ」「右向け右」というスタンスが染み込まされていくことと、「思考力」が培われない(むしろ停止するような)方法で個々人の「主体感」がどんどん失われていく流れで個々の「らしさ」がどんどん埋もれていったというのがぼくの暫定的な考えです。
〇これからの時代
最近、「土の時代」から「風の時代」に変わりました。
ということが話題になりました。
「物」「形」といった目に見えるものに価値が置かれていた時代から
より「無形」(自由・平等・権利)のものに価値が置かれる時代になったよ~
ということです。
全体としてそういう流れになったことが叫ばれるようになったのはある意味で嬉しいことであり、一方でそれは「格差の拡がり」を暗示するようにも思えます。
以前のように「いかにうまく魅せられるか」といったことが通用しづらくなるということは、より「質」で決まってくるということ。
それが「個」にも求められるということは、つまりいかに「オモシロさ」を表現できるかというところが今後の時代、「個」にも求められることであり。
日本という「国」にも求められていくということだと思うのです。
〇オモシロさを活かし合える空気
最初にお伝えしたように、日本は豊かなはずなのに個々人の幸福度はそんなに高くないように思える。なぜか。
個々人の「らしさ」が埋没してしまうような空気に覆われてしまっているからだ!!
そんな風に思うのです。
語弊のないようにお伝えるすると、本来「らしさ」というのはプラスでもなく、
マイナスでもないフラットなものだと思うのです。
世間で言われる「多様性を!」「ありのままを!」というのは個人的には微妙で。
あたかもそれがプラスなもの!としているかのよう。
就活界隈でも、「長所はなんですか?短所は?」と聞くけれど
個人的には「そんなものない」というのが思うところでして。
自分には「〇〇」といった要素があって、それが状況に応じて良く働くこともあれば、悪く働くこともあるんです。
それが「らしさ」だと思うのです。
ただ、今の世の中はその「らしさ」が世間で「良い」とされるある特定の要素だと評価され、そこからそぐわないと排除されてしまうという大きな空気があるように思うのです。
ぼくはそれって「違いを持つ生き物」にとって不自然で無理があるし、せっかくの「違い」による「オモシロさ」が活きてこないからもったいない!!だったら、逆の空気を創ることでせめてフラットに戻したいし、それによって個々人の選択ができる世の中になったらいいなあ~
そんなことを考えていたりします。
その一つの手段として、今僕はクラウドファンディングというカタチをとっている
ということなのです。
今日はこの辺で♪
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