「れおっち」のブログ

違いがあるからこの世界はオモシロイ。

あなたの何気ない日常に非日常をお届けするブログという名のキッカケ。

航海日誌vol12 「満足」という概念についてナニカ分かった気がする話

2025年に入ってからなんやかんやと毎日描くことができているこの航海日誌。

2018年に起ち上げたこのブログ史上初めてかもしれない。

ずっと「描けないタイミング」があった。

何度も消しては、投稿しの繰り返し。

 

今描きながらふと思ったことがある。

 

たぶん、そういう時のぼくは「上手く描けない・・・」ということを思っていた。

「上手いか下手か」というモノの観方はその裏側に「ダレカの眼」が介在している。

 

「ダレカから観たときに変じゃないか?」とか。

「ダレカから観た時にもちゃんとオモシロイと感じるのか?」とか。

 

はっきり言って、そんなの全く楽しくない。

というか、めちゃくちゃ疲れるよなーって感じる。

 

だって、これはあくまでも「ブログ」なのです。

「ブログ」はたしかに「他人の眼」に触れらる場所ではある。

でも、「特定のダレカ」を意図的に攻撃したり。悲しませるようなことをしたり。

そんなことをしていない限りは、その内容にとやかく言われる筋合いはぶっちゃけな

い。「みんなにとってオモシロイ」はアリエナイのです。

 

「ダレカにとってオモシロイ」は「ダレカにとってツマラナイ」だし。

逆も然りで。「ダレカにとってツマラナイ」は「ダレカにとってオモシロイ」のです。

 

それで良い。

 

「みんなと一緒になる」という無意識の選択は「自分のオモシロさ」を「ダレカのオモ

シロさ」の中に閉じ込めること。

 

自分が描きたいことを描ける状態って「自分に満足しているってことなのかも?」とい

うことを今日パートナーと焼肉を食べに行った帰りにふと思ったのです。

 

 

これまでのぼく「あー食べ放題だぜー!ひゃっほーーーう!たらふく喰うぞーー」

 

今日のぼく「良い肉を、丁寧に味わって食する。うんうん。」

 

不思議だなーと感じるのは「心から満足している!!!」と思えたのは物理的に「お腹

いっぱい」になるまで食べまくった時ではなかった、ということです。

物理的な量、ではなく「丁寧に味わって少量いただく」という感覚でいたときの方が満

足度はめちゃくちゃ高かった。それに心なしか「お腹もいっぱい」なのです。

 

あとオモシロかったのは、「良い肉」に触れている時間はなぜか「自分の所作」にも自

然と心が配られていたなーということ。「丁寧に」とか「誠実に」みたいな意識が勝手

に芽生えて行動に表れた。

 

 

「満足」って「満ち足りる」ではなくて「満ち足りている」なのかもしれないね。

 

今日はこの辺で!

アディオス!!!

 

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