「れおっち」のブログ

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航海日誌vol11 「営業」について考える

本日は本業の方で、自分でテレアポして自分でアポイントを獲った企業の方2社と

商談があった。

 

このたった3行だけど、書きながら「うーん」と思ってしまう。

所謂「営業感満載やなぁ」とどこか引いてしまう自分がいることに気づく。

 

自分で書いておいてなんだけどね。

 

でもやっぱり「ザ・営業」って感じってどこか嫌悪感が漂ってしまう。

 

4月から「法人営業」という未知の領域に足を突っ込むことになり、

(元々はそんなに想定していなかった)かれこれ10ヶ月になるのです。

少しは成長できているのだろうか?と自問する。

 

思えば、初めての「営業」としての動きは「テレアポ」だった。

入社して1週間後くらいには「お世話になります〜」と架電を始めている自分がいた。

 

ゆくゆく考えると、オカシな話だなと笑える。

だって、入りたてホヤホヤのヤツが「自分でもちゃんと理解しきれていないプログラ

ム」に人を巻き込もうとしているのだから。

 

「笑える」と言うか、「ヤベー話」か。

 

でも、じゃあ「全てをわかりきってから動く」というのもまた違う気がする。

だって「全てをわかりきる日」なんて来ないのだから。

 

と言うか、そう思った瞬間から衰退が始まる。

 

実際「質問されたらどうしよう」という不安を抱えながら、架電し続ける中で

「プログラムの理解を増していった」という背景はあるのです。

 

人に話す中で、少しずつ自分なりのコタエを見出していったという感じ。

 

自分のコトバを探していった、という感じ。

 

今考えても不思議だな、と感じるのがそんな「何もわかっていないヤツ」のコトバにも

関わらず「やりましょう!」と言ってくれた人たちが少なからずいた、ということ。

 

あれってなんでなんだろうね。

 

正直、「勢い」に近かったと思う。

 

なんなら2回くらい断られたケド、「お願いします!」と言って関わる選択をしてくれ

たところもあった。

 

あの時願っていたのは割とシンプルだった。

 

「一緒にやりましょうよ!」

 

小さい子どもが知らないダレカに

 

「一緒に遊ぼうよ!」

 

と声を掛ける感覚と似た感じ、と言えばいいのかな。

なんかそこには「営業感」はたぶんなかった。

 

ただここで難しいなぁ、と感じるのはぼくがやっていることは「ビジネス」の一環

なのであって、それは決して「ボランティア」ではないのだ、ということ。

 

物事は「お金」を絡めようとした瞬間に、それは一気に「営業感」を帯びてしまう気が

する。(いや、というか「営業」なんだけども。)

 

これってなんでなのだろう。

 

本来「良いモノ」「良い活動」「良いコト」なハズなのに。

「お金」が絡むとそれがまるで「穢らわしいコト・モノ」であるかのように

感じられたり、捉えられたりしてしまう。

 

「テレアポ」をしているとそれは本当に常日頃から感じられる。

 

話を聴く前に「なんなんだよお前は!!」とでも言いたげな勢いで煙たがられる。

 

「営業ですかぁ???」とか。

 

「あぁ、、、営業ね。」とか。

 

「営業」ってなんでそんなにウザがられるのだろうか。

 

「このプログラムって本当に良いものだな」

 

そんな風に思えているし、最後まで聴いてくれれば

「良いじゃんそれ!」と感じてもらえる自信があるのに。

(じゃあ、最後まで聴いてもらえるコミュニケーションしろよというのはわかってる)

 

そもそも「話し合い」の土俵にも乗ることが難しい。そう感じるのです。

 

そんな「営業感」にぼく自身この10か月の中で飲み込まれてしまっているな自分、と

感じることも少なくなかったように思う。

 

「売らなきゃ・・・!」

 

という焦りのような感覚の中に溺れそうになっていたのだと思う。

 

でも、今朝ふと思った。

 

「ちゃんと相手と話をしよう!今日は売らないぞ!」

 

なんでかはまだ言語化できていないけれど。

今日ふと冷静にそう思ったのです。

 

「営業」という言葉自体がもしかしたら良くないのかもね?

 

今日はこの辺で!

アディオス!!

 

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