例の如く、ディズニー+を入れてからパートナーと一緒にディズニー作品に触れる
日々。我が家にはまだ「テレビ」がないので、タブレットで一緒に鑑賞をする。
たぶんそんなに遠くない未来に壁に映せるプロジェクターとか用意するのだと思う。
今回は前回に引き続き「インサイドヘッド2」を観た。
相も変わらず、ネタバレは一切する気がないので安心してほしい。
本題に入る前に一応「インサイドヘッド」の記事も貼り付けておくので、
良かったらそちらを先に観てみてほしい。
shizhonglingyang.hatenablog.com
さて。
今回の作品は続編ということもあり、既にある程度視聴者の中には文脈が溜まっている
ことが前提に描かれている作品。
その点で「今回はどういった点で変化を描くのかな?」といった視点で作品を観てい
た。今回キーワードだなーと感じたのは「自分らしさと感情の関係」だった。
あまり意識したことが無かったのだけれど、ぼくらの人間の中に芽生える感情の種類や
その感情が芽生える背景って「社会との接点」が大きく起因するのだということを認識
した。
良く考えてみれば、小さい頃は基本的には「社会」=「家」になるわけで。
その空間の中で起こり得るコミュニケーションの中でしか、ぼくらの感情は現れない。
多くは「家族(ここでは自分を育てている存在としておく)」とのコミュニケーション
が中心になり、少しずつ「ご近所さん」とか「公園で出逢った友だち」とか。
幼稚園や保育園に入るのだとしたら、そこで触れ合う人たちとの関係性に拠ってくる。
それが年齢を重ねて「学校」が登場すると「社会」の意味が変わってくる。
そういった自身を取り巻く環境の変化によって、ぼくらの感情は変化するということを
改めてこの映画を通して認識し直した。
個人的にこの映画全体を通して印象的だったのは「どの感情が主体として機能しやすい
のか?」ということを描いていることだった。
1と2の間でもその葛藤が描かれているけれど、もう少し視野を広げてみると
たぶんこの「主体として機能しやすい感情」自体も人によって異なるのだろうなという
こと。
そう考えると、この世界にいるすべての人の数だけ「インサイドヘッド」の描き方は変
わってくるのだろうし、その多様さの中にもオモシロさがあるのだなーと感じる。
どうしても「作品を創る」という視点で最近はモノゴトを捉える傾向があるのだけれ
ど、逆に言えば自分にとっては今は「作品創りがしたい時期」なのかなーと感じる。
2025年をどう描くのか?といったイメージを日誌vol1でも少し描いたけれど、
たぶん今年は「静かに作品創りをする」という動きが増えるんだろうなと思う。
shizhonglingyang.hatenablog.com
「良い作品」を描くためには「良い作品」に触れること。
「ダレカ」が描いた数々の作品たちに今年はたくさん触れていこうと思う。
そして、この場を使って少しでもウチに採り入れたモノをシェアしていこうと思う。
今日はこの辺で!
アディオス!!
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