頭の中に溢れんばかりの絵が浮かぶ。
本当はその一つ一つをカタチにしてやりたい
のに。
どうにも上手くいかなかったりする。
ここ最近本業と家事に取り組むとパタリと眠
ってしまう自分がいる。
エネルギーが足りないのだろうか。
頭ではまだ行ける!!と思っているのに、気
づけば睡魔に襲われている自分に気づく。
エネルギーはどこにいったのだろうか。
思えば、こんな風に自身の日々のエネルギーの使い方に目を向けたことってあまりないのかもしれない。
機会は勝手にやってくるものじゃなくて、自
分で創るものだ。共にこれをイイキッカケに
できればなぁ、と思う。
「全てに全力疾走だよね」
周りの人によく言われるコトバ。
自分に飛んできたボールをどんなボールなのか吟味せずに、真正面から受け取ろうとする。
道端に落とし物やペットボトルがあるのを目にしたときでさえ届けたり、捨てたりせずにはいられない。
ぼくは「無視」や「スルー」が基本的に嫌いなのだ。
自分の日々の気持ち一つ一つに全力で向き合う。いや、向き合ってしまう。
ましてや相手を無視したり、スルーしたりだなんて言語道断。
広い意味で「無視」をしないから、ぼくはそもそもエネルギーを使いまくっているのだ、ということにふと気づく。
その塩梅をもう少し意識的に調節できるようになることが今の自分に課されたミッションなのかもしれない。
でもそれはぼくにとって忌み嫌ってきた「効率の世界」に足を踏み入れることを意味する。
「ムダ」を「無駄」と捉え直し、取捨選択していくことを意味する。
正直ツマラナイとは思う。と同時にある程度は必要なんだとも思うようになった。
本当にナニカをカタチにしたくば、「全部やりたい」を捨てる「覚悟」が必要なのかもしれない、とやっと腑に落ちてきた気がする。
「やりたい」の中に「優先順位」という名の序列を造り、そのナニカまでの道程には階段を造らなければいけないのかもしれない。
なぜぼくはこんなにも「効率」の世界を忌み嫌うのだろうか。そこがイマイチ腹落ちしていないのが正直なところ。
ただ、なんとなく感じるのは単純に苦手なんだろうなということ。
周りの人に貼られた「不器用くん」というシールを剥がす勇気を持てない自分がいるからなのかもしれない。
耳障りの良い「強みを伸ばせばいいんだよ!」という世界線に安住していたのかもしれない。
人の命には限りがある、ということをつい最近じーちゃんから教えてもらった。
Time is Money
とよく言うように、「時間」は限られた大切なものなんだということを改めて実感する。
時間を本当の意味で大切にする、とはどういうことなのだろうか。
少なくともそのことと真正面から対峙するということは「効率」という色をその時間の中に入れていくことと強い相関があるのだと、今のぼくは思うのです。
計画されすぎた人生はツマラナイけれど。
計画されなさすぎた人生もまたオモシロくな
らないのかもしれない。
この1年はそんなことと真正面から向き合ってみようと思うのです。
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↓ じーちゃんから教えてもらったこと
shizhonglingyang.hatenablog.com
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