2024年12月29日。
ジジ(父方の祖父)とお別れをした。
正直、複雑な気持ちは色々あるのだけど。
でもやっぱり最期をちゃんと見届けられて良かったと思う。
これはジジへの手紙?というか、ジジとは直接話しきれなかった想いを間接的ではあるけれどジジに向けた独り言として書いてみようと思う。
ジジと久々に顔を合わせたのは2週間前。こちらも久々な父からの連絡で、急遽顔を出しに行くことになってのことだった。
本当に久々に顔を見せたからなのか、認知症からなのか。ジジはぼくのことを認識していなかった。弟のことは認識していた。なんとも描写し難い哀しさがあった。
元々小さい頃から父方の祖父母はどこか弟贔屓というか、弟の方を立てるような雰囲気を醸し出しているように感じていた。特にジジは弟を気に入っていたと思う。
だからかな。正直顔を見せることが憚られる思いがどこかにあったのだと思う。色々と理由をつけてなかなか会いに行くという選択を取れずに来たのだけれど、今となって思うのは「嗚呼、自分も弟のように可愛がってほしかったのだ」とただ純粋な気持ちを抱えていたのだと気づく。
ヘソ曲げてそれを伝えられなかったぼくは未熟だったのだと思う。
そんなことを思う反面で、弟に構ってくれて良かったなという矛盾も抱えていたりする。
弟の立場になると、逆に似たようなことを感じさせてしまっていたかもしれないなと思うからです。母と自分はとてつもなく似ていた時期が長かったので、その期間は逆に弟に似たような思いを図らずして剳せてしまっていたのかもしれない。そんな風にどこか思っていたから、だからジジがそんな風に接してくれることにどこかホッとしている自分もいたりしたのだと思う。
ぼくが必要以上に「ラベリング」で人を捉えることを嫌うのは、もしかしたらこういった「血筋」の話も関係しているのかもしれない。
ぼくの中には父方の祖父母の家に行くときにいつも抱えていたもどかしさがあった。
それは「典型的な男尊女卑」が観られたから。これは別にジジのことを悪く言いたいわけではなく、所謂「九州男児」にとってはそれがアタリマエだったのであって。どちらかと言うと、自分自身に腹が立っていたのかもしれない。ババ(父方の祖母)に対して強くでるジジの間に入ることができない弱い自分を観ることが嫌だったのかもしれない。
ただこの観点で言うと、今日意外だと感じたのがババの口から「なんだかんだありがとう」の言葉が自然に出ていることを耳にしたことだった。
ぼくはてっきり、ババはジジのことを恨んでいてもおかしくない。そう思っていたからです。ババはぼくが思っている以上に強いというか。動じない人だと知った瞬間でした。
そっか。ババはそれでも良かったんだ。
そんな風に思えた。
やっぱり感覚って世代でだいぶ違うなー。
まだここに書いたことが全部ではないけれど、ぼくの中にはそういったわだかまりというかスッキリしないものがあったのです。
だから、これまで顔を出すということができなかった。
それによって父方の親戚たちとはほとんど接点がなかったのだけれど、今日という日を通してそのわだかまりはほぼ無くなったと言えると思う。
それはひとえにこのタイミングでジジがぼくに教えてくれたということだと思う。
「つながり」は意外と側に「ある」ことを知った。
この先、頻度はやっぱりたくさんは取れないとは思う。でも、ジジに伝えた(改めて伝えたい)ことがあります。
これからは少しでも「顔を出す」という機会を創っていくよということ。
父やババとも「家族」なのだ、ということをジジは教えてくれた。
ありがとう!
安らかに見守ってください!