「れおっち」のブログ

違いがあるからこの世界はオモシロイ。

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花魅-起承転結の「結」

2024年4月21日。

井の頭公園で「お花見」ならぬ、

「お花魅」を実施した。

 

今日はそんな「花魅」モノガタリの最終章。

多分長くなると思う。

 

まだ「はじまり」を読んでないよーという方、振り返ってからという方はこちら↓

 

shizhonglingyang.hatenablog.com

shizhonglingyang.hatenablog.com

shizhonglingyang.hatenablog.com

 

 

これまで「想いのタネ」が「花」になるまでのモノガタリを、実際に行った「花魅」というイベントを通して描こうとしてきた。

 

この記事では「蕾」が「花」になるまでのモノガタリを中心につらつらと描いてみる。

 

 

4月21日当日。

天気予報とは裏腹に「これでもか!!」と叫

びたくなるほどの快晴だった。

太陽がギラギラと燃え滾っていて、もはや少しくらい手加減してほしいほどだった。

 

実は外で開催するイベントはほとんど初めてで。

雨になったパターンの想定や、実施の可否の対応など直前にバタバタと追われていた。

 

「外でイベントをやるのって難しいなぁ」

 

井の頭公園の奥の奥にある広場に見晴らしがよくて「花を魅せあう」のに良さそうなスペースを確保した。

 

あたりでは自分たちのようにピクニックに来ている家族や、キャッチボールやフリスビーをして遊ぶ親子の姿がたくさん見受けられた。

 

集合時間の1時間前に来て、もくもくと準備を始める。

 

レジャーシートを敷き、音楽を流し、ワークに使う備品を広げる。

イベントの醍醐味って案外「準備」にあったりするよね。

 

ぞろぞろと人が集まりだして、知った顔ぶれもあれば初めましての顔もある。

 

今日はこのみんなで「今日」という時間・空間を描いていくんだ!

 

そんな思いで心が躍る。

 

今回のイベントは「自身のウチにある咲かせてみたい花を魅せ合う」という趣旨だった。そんな時間・空間を初対面な人同士が描いていくためには「ここは何を言っても大丈夫だ!」という絶対的な安心感を担保する必要があった。

 

そのためには色んな要素をカタチにする必要がある。

 

まずは「音楽」の大切さ。

 

沈黙の中自分一人が声を出すハードルが高いことはきっと多くの人が感じたことがあると思う。「黙っていても大丈夫」という意味で音楽はあったほうがいい。

 

あとは「空間づくり」という意味で「なんの曲を流すか?」はとても大切だと感じる。

ディズニーでは当然、ディズニー作品の音楽が園内で耳に溢れる。

 

今回は「花」や「春」といったキーワードをもとに自身が大好きなGRe4N BOYZ(旧GReeeeN)の曲をメインに据えてプレイリストを作成した。

 

次に「人の配置」の大切さ。

 

どんな空間づくりにするのか?で意外と大切

だなと思うのが、人がどうその空間に配置されるか。室内のイベントなら、どうイスを並べるのか?ということ。

 

基本的にはぼくは「輪」になることを心掛けている。

どの位置からもみんなの顔が見える、という配置によって安心感が醸成される気がする。

 

そして「イベントの流れ」の大切さ。

 

空間づくりにおいて、物理的に「音楽」を用意するとか。「人」をどう配置するかとかはもちろん大切だけれど、そのうえでどんな順番でその時間が設計されているか?もとても大切だと思う。

 

基本的には初対面の人が混ざり合う場合、「緊

張感」が拭えないので最初にその雪解けを狙った時間を描く。

 

今回は「チェックイン&チェックアウト」と

いう手法でそれぞれが「今どんな気持ち

か?」をそのまんま描いてみるカタチを自己紹介にまず組み込んだ。

 

そのうえで、「ランチが先か、みんなで遊ぶのが先か?」の選択肢を投げかけてみんなに自由に流れを決めてもらった。

 

結果、「ランチ→遊び」の流れになった。

 

ランチではちょっとした挑戦をしてみた。

「みんなで持ち寄ったもの」をランチにしよ

う!という試みだった。

 

これがものすごく難しくて、でもオモシロイものだった。

 

参加費の代わりに一人当たりいくらという枠

を設定して、自分で考えてきたものをピクニック気分で持ち寄ってみよう!というものだった。

 

どんなものを持ってくるか?きっと一人ひとり頭を悩ませたと思うし、そこに一人一人の個性が本当に出てくるなあとも感じた。

 

直前の直前まで雨予報だったこともあって、やめたほうがいいかな?とぼく自身何度も頭を抱えたけれど最終的には今回の趣旨に沿って「カタチにしてみる」を体現することを重要視することにしたのだった。

 

ランチの後は「その場でみんなが遊びたいことで遊ぶ」という時間を描くことにした。

 

参加者の一人が「ウィンクキラー」という遊

びを提案してくれて遊んだ。

(人狼ゲームのようなゲーム)

その後は懐かしの「シンゲンチゲーム」だったり、「ドロケイ」をして遊んだ。

 

大の大人がガチンコでチームを分けて公園内を走り回る姿は園内でピクニックをしていた多くの人たちの注目の的だった。あの光景を見ていた大人たちは何を思ったんだろう?

 

ちなみに、ぼくはガチで走りすぎて一度豪快にぶっころびますた・・・苦笑

 

子どものような気持ちで遊ぶ時間って本当に尊いですね。

 

そしていよいよ本命の「花魅」の対話の時間がやってきました。

 

3つのグループに分けて、それぞれ「2024年

になにをやってみたいか?」を切り口に思

い思い語り合った。

 

それを聴いた他の人は付箋に感じたことを描

いて渡す。感じたことを話す。

そんな平和だけれど、刺激的な時間がそこにはあった。

 

最後に一日を通してどんなことを感じたか?を全員で輪になって、一人ひとり話した。

 

不思議だなあ。

家族や友達、とも分類しがたい様々な繋がりの人たちが一つの輪になって語る。

それも、日曜日という仕事に従事しなくていい日に。

井の頭公園までアクセスしづらい人も電車に乗って足を運ぶ。中には東北から新幹線で来てくれた人もいた。

 

思うに、あの時間が真に花開くのにはぼく一

人ではとてもじゃあないけれど力不足だっ

た。ぼくがナニカを投げかけてもそこに手を挙げてくれる人がいなければ、そのタネは

芽を出さなかっただろう。

 

ぼくがいくら用意をしてきたとしても、来てくれた人たちがそこに乗っかって口を開いてくれなければ、その蕾は花開かなかっただろう。

 

「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」

 

とはよくいったもので、真に花咲かそうと思うならばそこにはダレカの存在は欠かせない。自分一人でできることなんてたかがしれている。

 

ぼくはこの「花魅」というイベントの中で

「ナニカをカタチにしたいとき、周りのダレ

カにそれを伝えてみようぜ!」ということを

伝えたかった。それを一人でも多くの人に

感じてほしかった。

 

だって、ぼく自身がたくさんの人にこれまでも助けてもらってきたから。

 

届いたかなあ。

 

描けたかなあ。

 

これは当日、みんなにも伝えたことなのだけれど。

 

「実際に花を咲かせられたか」というのは実

はそんなに大事じゃなくて、

今持てるものを詰め込んで「花を咲かせようとしてみること」の方がずっと大切なんだと思う。

 

「できるかどうか」よりも「やってみたいか」

を大切にする人生でありたい。

 

そうやって「できるかどうか」ではなく、「やってみたい」を大事にしていった先に。

 

きっと「花が咲くミライ」を結果的に描けるんだと思う。

 

今回の「花魅」はぼくがずっと描きたかった時間・空間だった。

 

「やってみたい」が頭に思い浮かんだ時に邪魔してくるものってたくさんある。そのカベを一人で乗り越えることってものすごく難しい。

 

だから「描いてみる」を土の中に埋めたままにしてしまうことって多いんだと思う。

 

でも、せっかく「描いてみたい花」が頭に咲いたのならばそこにカタチを与えてやれる人生でありたいし、周りの人にもまた手を差し伸べられる人間でありたい。

 

だって、「描いてみたい花」に出逢えること自体が素晴らしいことだと思うから。

 

それは当たり前じゃない。

きっとその人が一生懸命見出したものなんだ

と思う。

 

その花が咲いたとき、きっとその人の人生は彩るし、その人の周りでその花を見た人の人生もまた彩るんだと思う。

 

だからぼくはこれからも僕の中に芽生えた

「想いのタネ」を大切に生きていく。

そして、それを咲かせて生きていきたい。

まずは自分から。

 

そうやって自分が咲かせた花を通して、その花を見てくれた人の人生にも彩る絵具が混ざっていると信じている。ヒントがあると信じている。

 

そして、身近な人がナニカを描こうとしたときには自分にできる範囲で共に水をあげていきたい。

 

そうやって生きていくことがぼくの人生という名のキャンバスをきっと彩ってくれる。

 

そう信じている。

 

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