「れおっち」のブログ

違いがあるからこの世界はオモシロイ。

あなたの何気ない日常に非日常をお届けするブログという名のキッカケ。

じーちゃん、ありがとう ① ー祖父への追悼歌ー

 

それは本当に突然のことだった。

 

2024年5月9日。

ぼくのじーちゃんが他界した。

 

ミーティング中に母から電話がきた。

 

「急用です」

 

正直、イヤな予感がした。

 

ミーティングを終えてすぐに折り返した。

母が悲しそうな声で告げた。

 

「じーちゃんが亡くなったって・・・」

 

まるで宇宙に放り込まれたかの如く、その瞬間自分の周りのすべてが無になった。

 

「悲しみ」だとか「後悔」だとか、一切の感

情がどこかへ消え去った。その瞬間、ぼくは

文字通り「無」を感じていた。

 

パートナーが隣にいてくれていた瞬間だった

から、寄り添ってくれたんだけれど。

ぼくは思っていたよりなんともなかったのだ。

 

なんともなかった、というより何かを感じ取

ることすらできていなかったのかもしれない。

 

まるで何事も起こらなかったかの如く、そのあとの時間を普通に過ごした。

 

人生で初めてだった。

 

身近な人が亡くなる、ということがこれまで

無かったのでどこか遠くの星の話だと勘違いしていたのかもしれない。

 

これまでに経験した「死」はペットの「死」と3年前の恩師の「死」だった。

 

それぞれ感じるものは多くあったけれど、いざ身近で起こるとなると「無」を感じている自分に少し戸惑いを覚えた。

 

 

自分は薄情な人間なのだろうか。

 

 

そこからは淡々と日が過ぎていった。

会社への報告、タイミング的に必要な人への

連絡。そして「喪服」の準備など。

 

日曜日が「友引」ということもあってか、「通

夜」と「告別式」は翌月曜と火曜で行わ

れることとなった。

 

そしてあっという間に「通夜」の日を迎えた。

 

平日の朝から都心から離れていくのがなんだ

かその非日常を表しているように感じる。

小さい頃から何度も通った道を当たり前のよ

うに通って茨城へ向かう。

 

今では聞き慣れた「つくばエクスプレス」も。

何気なく乗ってきた1両編成の「常総線」も。

 

なぜだか全部が「初めて」に感じる。

 

下妻に着くと、母たちがいた。

従姉弟家族も既に集まっているとのことだっ

た。

 

従姉弟で一つ下のSちゃんとは数か月前にそ

れこそ、じいちゃんのお見舞いで久々に会

っていたけれど。もう一人の従姉弟で六つ下

のKくんとはもう何年ぶりかもわからないほ

ど久々の対面だった。

 

れおっち「おー!久しぶりだね!!えー何年ぶりだ?!!」

 

Kくん「たぶん5年ぶりとか?」

 

こんな風に「全員」揃ったのは実に5年ぶりの機会だった。

 

毎年大晦日には必ず顔合わせていたのだけれ

ど、最近まで色々あってここまでくるのに5年かかってしまった。

 

兎にも角にもそこにあった変わらない顔ぶれ

を見て、シンプルに安心したし。なにより嬉

しかった。

 

お通夜自体は18時からということもあって、近況報告をし合うには十分な時間があっ

た。一つ下の弟も含めて、本当にみんな大人

になったのだと感じる。

 

それからはみんなで幼少期のアルバム写真を

観たり、弟やKくんとは「腕相撲」したりし

た。圧勝した。

#大人気ナシ

 

 

間もなく酉の刻(17時頃)を迎えようとしていた。

 

こういった機会の中でひしひしと感じるのが、日本もしっかりと「宗教」との結びつきがあるのだなということだった。

 

母の代からはそうでもないのだけれど、祖父

母は中でも日蓮宗よりな信仰を大切にしてい

る人たちなこともあり。通夜や告別式はその 

文脈で行われるとのことだった。

 

通夜は基本的に身内内で行い、特に親しい親 

戚が同席するような形で行った。

そのほとんどが自身が小さい頃から、たくさ

ん遊びに行かせていただいた方々。

時間を割いて足を運んでくれているのが有難

かったし、今まで感じたことのない「親しみ」

を感じた。

 

全員が揃ったタイミングでいよいよ「通夜」が始まった。

 

小さい頃からばーちゃんが「南無妙法蓮華経」

と一生懸命に唱えているのを見てきたけれど、それが初めて現実に活きている瞬間を目

の当たりにした。

 

一人一人がご焼香をあげる際にどれだけ自分

が日頃から日本の慣習に関心を持てていな

かったかを痛感することとなった。恥を知っ

た。

 

それぞれの「礼儀作法」には当然なんらかの

大切な意味があるわけで。

見よう見まねでそれをカタチだけやるのと、

事前に「それがなんなのか?」をちゃんと知

ったうえで行うのとでは天と地ほどの差があ

るのだと知った。

 

じーちゃんはぼくに「伝統や慣習の大切さ」を教えてくれた。

 

通夜の後は、ご参列いただいた親戚の方々と会食の時間を過ごした。

 

この日はばーちゃんの兄弟姉妹関係の人たちが多かった。

 

ばーちゃんの妹、ばーちゃんの別の妹の旦那

さん、ばーちゃんの弟夫婦、じーちゃんの兄

の息子さん。

 

物心ついてからちゃんと話をするタイミング

がなかったこともあり、そんな親戚たちと

どんな話をすればいいのか?と尻込みしてい

ると一番年下のKくんが動きだした。

 

Kくん「ぼくたちの名字のルーツが知りたくて質問させてください!」

 

なんと、Kくんはそのことを聴くために事前に資料作成をしてきていたのです\(゜ロ\)(/ロ゜)/\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

恐るべしKくん! 

そして、その「行動力」に尊敬の二文字!!

 

Kくんのおかげで全体としての話題ができた

ことで、そこからはみんなで楽しく「名字

のルーツ」や「家系譜」といったことをあー

でもないこーでもないと話す時間になった。

(またここらへんの話は別記事で深堀りしようと思う)

 

親戚とそんな深い話をしている中で、自分が

思っていたよりもずっとずっと。

自分の周りには「繋がり」があることを実感

した。

 

そっか。

今まで「ない」って思ってたのは実は「ない

ように思い込んでいた」のかもしれないな

って。

 

じーちゃんはぼくに「家族の広さと深さ」を教えてくれた。

 

そんなこんなで1日目の通夜と会食までの一

連の流れが幕を閉じた。

 

下妻だけなのかはわからないけれど、下妻で

は周辺の地域一帯でどこかの御家庭に不幸が

あったとき、みんなから御香典を贈り合うと

いう慣習があることを知った。

 

なんて暖かい慣習なんだろう。

 

とは言え、普通に平日なこともあって2日目

の仕事前。つまり、早朝の時間帯にエリアご

との代表者の方が御香典を渡しにお越し下さ

るということになっていた。

 

2日目はそんな方々を迎え入れるため、朝5時

起き!!ということになったのだった。

 

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