「れおっち」のブログ

違いがあるからこの世界はオモシロイ。

あなたの何気ない日常に非日常をお届けするブログという名のキッカケ。

「転職」って良いこと?悪いこと?

 

最近ぼくの周りには「転職」という流れを感じ取る場面が多い気がする。

 

ぼく自身、「転職」と捉えるかはちょっとビミョウだけれど。

まあ、でも広く言ったらぼく自身も「転職」したばかり。

 

ぼくの大切な人たちが「転職」に頭を悩ませている姿の中で自分にできることはあるのだろうか。あるのだとしたらそれは何なのだろうか。

 

そんなことと向き合うためにも、一旦ここでぼく自身の考えをまとめてみようと思う。

 

まず世間一般の「転職」に対するイメージってどうなんだろう?

少なくとも10年前より「転職」に対する世間的な見られ方は「転職しやすい方向」には動いてきていることは間違いないと思う。

 

というより「同じ場所で働き続けるイミ」が

失われつつあるから結果的に、みたいなこと

かもしれないと感じる。

 

それは「VUCAの時代」という言葉に称され

るように、物事の変化のスピードがえげつな

い時代へと変わっていく過程で「終身雇用制

度」の崩壊だったり、従来までの固定的な考

えが欧米の風潮が入ってきたことで相対化さ

れていったことが大きく絡んでいるのだろう

な、ということ。

 

とはいえ、多くの企業の経営層には「終身雇

用」「高度経済成長期」を経てきた世代の方々

がいらっしゃるのが現状なはずで。まだまだ

「何年間どの企業に勤めていたか?」という

モノサシは日本のビジネス界では重要視され

ているのだろうなと思う。

 

「長く続けること」が美徳とされてきた文化

はそう簡単には変わらない。

 

それに「企業」からしたら「転職」は「やめてくれ・・・」というお話なわけで。

 

ただでさえ人口が減っていく中で、労働者の獲得が難しくなっていく文脈において「転

職推奨」ができるほどの体力がある企業なん

てほんの一握りなのだろうなぁということを

踏まえると、今後も「転職最高!」の風潮に

なるとは考えづらい。

 

一方で「労働者」からしたら物価もどんどん上がるのに給料は上がらない、だとか。給料上がらない中でその仕事を続けていくモチベ

ーションを保つことが難しい、だとか。

企業だっていつ倒産するのかもわからない不安な時代だ、だとか。

 

「終身雇用」で将来安泰!!だなんて今の世界線には存在しないわけで。そうなると、当然自分の身は自分で守らなきゃ!となるわけで。給料上がらないなら「複業」しよう!ということも、結構企業側の都合で禁止されていたりするわけで。

 

労働者目線も案外八方塞がり、四面楚歌な状況なのかなって気もする。

 

「雇用者」と「労働者」間のこのジレンマみ

たいなものはなかなかに解決しがたい話らし

い。

 

さて。

 

ここまではなるべく客観的な視点で「転職」というものを大きな虫眼鏡で覗いてみた。

 

ここからは、自分個人としての考えをつらつらと描いてみたいと思う。

 

 

当たり前かもしれないけれど、結論としては

「転職」が労働者や雇用者にとって「良い」

か「悪い」か?は文脈によるとしか言えない

と思うのです。

 

必ずしも「労働者」にとって「良い」とも思

わないし、逆に必ずしも「雇用者」にとって

も「悪い」とも思わない。

 

ぼくは物事の良し悪しをつける意味ってあんまりないよなーと考えている。

 

物事には「良し悪し」がどっちもあって、そ

の「良し」がどんな時に「悪し」になるの

か?その「悪し」がどんな時に「良し」にな

るのか?を知ることがなにより大切だと思う

のです。

 

これは自分の性格の「良いところ」と「良く

ないところ」についても同じことが言えると

思う。

 

その人が持つ色んなカオ。

 

そのカオ一つ一つにはそれぞれ異なった「良し悪し」がある。

 

そして恐らく「転職」にも同じことが言える気がする。

 

 

「雇用主」の立場になって捉えてみる。

 

当然、従業員が「転職したいっす!」と相談してきたら「えっ」とは思うと思う。というか、そもそも相談されたら良い方で。基本的には「転職」は水面下で動かれることがほとんどだと思う。

 

だって「相談」しづらいから。

 

とすると、ぼくが「雇用主」だとしてまず考えるべきは「転職を相談される関係の築き方」だなーということ。日頃からコミュニケーションを直接取る機会を大切にすることはもちろん、自分の悩みを相手に相談することもものすごく大切だと思う。

 

少なくとも相談さえしてきてくれる土壌があ

れば、その従業員の頭に「転職」以外の道

を共に描いてあげられるかもしれない。相談

したうえで、「転職やな」ということならばそ

の背中を押してあげるべきだと思う。たぶん

この選択ができれば、その従業員とはまた別のカタチでその後も良い関係を築いていける

んだと思う。

 

「転職されるのイヤだ!」

と一方的に封じ込めるような動きは相手を苦

しめるだけでなく、多分自分の首を絞めるこ

とにも繋がる。

 

まあ「言うは易し、行うは難し」なわけだけれどね。

 

でも少なくとも、そういう眼は持ちたいよなあと。

 

逆に「従業員」の立場で捉えてみる。

 

まずはその「転職」が自分の中でどういう位

置づけになっている選択なのか?は大切にしたいところ。

 

一番最優先事項は「自分を守る」という手段だった場合。

 

これは後先よりも「今ココ」を最優先にして

いい話だと考える。だって、「今」がなければ

「後先」なんてないのだから。

 

他にはたとえば「給料をあげたい」だとすると、ここはちょっと立ち止まりたい。

 

もちろんお金は大事だし、あればあるほど良いと思う。し、自分もお金はもっと稼げるようになりたい。

 

ただ「給料をあげたい」だけですぐに「転職」に飛びつくのもハヤトチリかなと感じる。

 

今の会社で給料を上げる手段は本当にないの

か?作れないのか?だったり、そもそも自

分の給料が今の状態なのはなんでか?だった

り。そもそも自分はなんで給料上げたいの

か?を言葉にしてみたり。「給料あげたい」の解像度を高めてみるのが先な気がする。

 

あとは「なにか別の世界を観てみたい」だと

か、「違うことに挑戦してみたい」だとか。 

自分のウチ側から生まれる気持ちが理由な場合。

 

これは個人的には大いに大切にしていっていい話だと思うし、自分自身も大切にしてい

きたいこと。

 

結局、自分の人生がどこまで続く物語かはわからない。「やってみたい」と出逢えたのならば、それをカタチにしてあげること。大切にしてあげること。

 

それは自分にしかできないことだと思うし、自分の人生、引いては他人のことを大切にしていくことにも繋がることだと思う。

 

逆に「周りのみんなが転職してるから」と

か。「世の中が転職する風潮になってきたか

ら」みたいな。自分のソト側にその気持ちが

ある場合は個人的には「ちょっと待った」を

したいなと思う。

 

何が起こるのかわからない時代だから、不安

や恐怖もたくさんある。だけれど、何が起こ

るのかわからない時代だからこそ色んな可能

性がある。

 

自分の毎日毎日という大切なキャンバスに、

ダレカに絵を描いてもらうのはもうやめた

い。自分の気持ちで、自分の意志で筆を持っ

て絵を描く。

 

それがどんな結果になるかはわからないし、不安や恐怖もあるけれど。

 

心からの喜びや楽しみがあるのもまた、自分で絵を描いてみたときなんだと思う。

 

ただ「雇用主」に対するリスペクトを忘れずに決断したいとは思う。

 

ぼく自身、最近他人(ヒト)の創ったフネに乗らせてもらった。

 

その前まで、ぼく自身もまた小さくではあっ

たけれどフネを自分で創ることをしてみた

ことがある。だからこそ思う。

 

フネに乗せてもらえることがどれだけ有難いことなのか。

 

自分で創らなくても、定期的にお給料がいただけることの素晴らしさを。

 

余程のことがない限り、自分がしていただい

ていることへの感謝の気持ちやそれを創って

くれている人たちへのリスペクトの気持ちは

大切にしたい。

 

それはきっと「転職をするまでのプロセス」の中でカタチにすべきことなんだと思う。

 

 

最後にはなるけれど、ぼくの身の回りで「転

職」についてなにか頭を悩ませているという

人がいたらぼくにはなにができるか?という

ことについて。

 

ぼくにできることはたぶん一つだけ。

 

何度でもその人と「対話」すること。

 

その人が納得するまで共に「対話」すること。

 

ぼく自身、たくさんの人に助けてもらって「今」があると本当に感じる。

 

そんな想いでこれからもぼくができることをカタチにしていこうと思う。

 

今日はこの辺で!

 

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