只今の時刻は、2024年3月31日(日)
23:49です。
正直、今から書き始めるのはどうなんだ?と
いう気持ちはあるけれど。
どうしても今これだけは書き切った上で床に就きたい。
そう思っているので、このまま筆を執りたいと思う。
今日までのぼくと、
明日からのぼくはちょっと違う。
ううん。なんだか、「全く別の自分になる」と表現しても良いのかもしれない。
それくらい、明日からぼくが踏み出す一歩は大きい。
ぼくの自分史上でかなり大きな一歩になることは間違いない。
たぶん、ぼくはこれまでずっと「居場所」を探してきた。
最初は、家の中を探した。でも見つけられなかった。
ウチを探してもないから、ソトを見ることにした。
その次は、学校や習い事の中で探した。
見つかった気がしていた、だけでこれも見つかっていなかった。
そしてとうとう「探す」のを辞めることにした。「創る」ことにした。
そしたら、本当に少しずつだけれど「居場所」
が見出せるようになった。
でも、どこか違和感は残っていた。
そしてわかったこと。
「居場所はどこにでもあるし、どこにもない」
自分が「居場所だ」と思えばそうなるし、
「居場所じゃない」と思えばそうなる。
全部自分の心が決めていることを知った気がする。
だから、ぼくは明日から戻ることが出来るのだと思う。
明日から新しく出逢うダレカとボクとの関係
の中に。
今の僕ならきっと「居場所」を見出していける。
そう思えたから。
そう思えたのは、これまでボクと出逢ってきてくれたダレカのおかげ。
ありがとう。
また、何処かで今まで出逢ったけれど離れてしまったキミと出逢えたらいいな。
その時々で「別れ」があり、そして「出逢い」がある。
どっちがいい、とかじゃなくてたぶんこれは反比例みたいなものなのかなって。
逆に言えば、またナニカのキッカケで「再会」することもきっとある。
それは必ずしも「直接」ではないかもしれないけれど、なんらかのカタチで交わることがあるんだと思う。
こんなこと言うのは、「キレイゴト」かもしれないし「ズルイ」かもしれないけど。
ぼくはこれまで出逢ってきた全ての人とまたなんらかのカタチでコミュニケーション取れることを望んでいるのかもしれないなあ。
そして、きっと「わかりあおうとしたい」んだと思う。
だから、ぼくは想いにカタチを与えて声にする。
ぼくが未熟で、関係の間に「別れ」を描くことになったたくさんの人たちに。
この想いが届くその日まで。
ぼくの命の炎が消えるその日まで。
ぼくは想いの炎を灯し続けたい。
だからどうか。
また逢う日まで元気でいてね。
「またね」