ぼくは今、最寄り駅のとあるファミレスでつらつらと筆を執り始めたところです。
ここ、めちゃめちゃ穴場でして。
平日の夜だといつも半分くらい席が空いている感じなのです。
「スグ帰らなきゃ―!」と気を遣うこともなく、周りのガヤガヤがBGMとなって
なんだかんだ作業が捗る(ような気がする)のです。
いつもありがとうございます!
はい。
今回も引き続き「#教育とは」シリーズをお送りいたします。
#なんだよソレッ
本当は色んなジャンルの記事を書きたいのですが、最近「教育畑」に毎日浸っているからか。飽きることを知りません。気の向くまま書き進めたいと思います。
今日の記事を読む前に今までの話も続けて読むと、よりオモシロイらしいのでどうぞ↓
shizhonglingyang.hatenablog.com
shizhonglingyang.hatenablog.com
さて。
これまで2記事書いてるクセに、これまでたらたらと話していたのは言葉の意味について。とはいえ、その言葉一つ一つの積み重ねでぼくらはコミュニケーションをとっているわけでして。何気にそのたった一つが大切だったりするんじゃないかなあ、と思うのです。
ぼくの中で「教育」という言葉は「(教える立場の人が)教え育つ」という認識を持つことがまず土台に必要だ!というのが常日頃思っていることであったりします。
今日は「教育」に対するぼくのイメージがどんな風に造られていったのかな?
という漠然なテーマで、なんとなくカコを棚卸してみたいと思います。
あなたもぜひ、「自分にとっての教育ってどんなだろ?」と浮かべながら読んでもらえると嬉しいです。
正直に言います。
今ぼくは「学ぶことってクソオモシロイよなー」と思っています。
でも、ずーっとそんな風に思ってこれたか?と問われるとそんなことはなくて。
中学校と高校の頃はどちらかというと、あんまり「勉強楽しいなー」と常日頃から思え
ていたわけじゃないように思う。
それに大きくかかわっていたのは「受験」なわけですが、今日はこの話は置いておく。
逆に言うと、26年の人生のうち小学校時代と大学以降の人生においては「学びってクソオモシロイ!!!」と思いながら生きてこれたわけだから、それって幸せだよなと思います。というか、この先もそれはなくならない。
そのベース(土台)ってどこで築かれたんだろう?と思い返すと、「ああ、塾だな」というのがぼくの中の答えになります。
小学校3年生の夏か秋かな?それくらいの頃からぼくはとある塾に通いだした。
今でこそ、その校舎はすんごく立派になっていて塾の中でもその校舎はかなり有名!
みたいな感じだけれど。ぼくが入ったころはぼくともう一人の男の子の二人で授業を受
ける感じだった。
問題を出されて、それに「はーい!!」と元気良く手を挙げて答えを言う。
正解したりすると、シールがもらえてどんどん溜まっていくとグレードが上がってい
く。ドラクエとかポケモンみたいな感じでレベルが上がっていっているような気がして
ものすごく楽しかった。
たぶんこのRPGみたいな仕組みの中で問題に答えていった時の感じが「勉強楽しい!」の土台にはあるような気がする。
あとは、その塾の特長は「生徒に答えを自分の口で話させること」だったように思う。
ただ単に、一問一答で「あってた人―?」と確認をして先生が答えを言うよな授業だったら「勉強楽しい!!!」には絶対なってなかったと思う。
自分で考えて答えた上で、その正解に対してシールがもらえた(認められた)。
実際にその中で、自分の成績が上がったりしていったのが「勉強楽しい」の根底にあるんじゃないかなーとしみじみと思うのでした。
いやー今思い返してみるとめちゃめちゃ「良い教育」だったのだなーと。
先生たち、元気してるかな。
今日はこの辺で。
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