あぁ、懐かしい。
いったいいつぶりなんだろう?
毎日決まった場所へ赴き、毎日決まった顔が
そこにある。
たぶん少し前までのぼくなら「刺激が足りねえ」だなんて思っていたのかもしれない。
いつも近くにあるものにこそ、その「有難み」を忘れずに表現し続けたいものなのに。なかなかどうして、人は「慣れ」を覚え、そして「飽き」を覚えてしまう。
新しいナニカをソトへ求めては、身近なもの
を蔑ろにしてしまう。
なんという愚かな生き物なのだろうか。
そのクセ、あったものを手放すことは断固と
して嫌がるようにも思う。
なんと自分勝手な生き物なのだろうか。
そして、その身近にあったナニカが手元に無くなった時に初めて思うのです。
ああ、なんて大切なものを手放してしまったのだろうか
と。
ぼくは昨日、まるで十数年ぶりに故郷へ還った時のようなノスタルジーを覚えた。
なんて言うんだろう。
「初めて」なのに
「初めて」じゃないというか。
「ずっと探していた場所」に対して
「ただいま」って言いたくなる。
そんな感じ。
最近文章を書く習慣がまるでなくなってしまったので、こうやって筆を執ってコトバを紡ぐこと自体にも懐旧の念を覚えるのだけれど。
ここ6-7年の間、ぼくはたぶん「居場所」を創ろうとしてきたし、「居場所」を探していたんだと思う。
自分をいつでも迎え入れてくれて、受け入れてくれる。
そんな「絶対的な居場所なんてない!!」ことはわかってはいるんだけれど、「そんな
場所があったらいいなあ」と理想を追っていた。その欲望に忠実だった。
その過程で、ほんとうにたくさんの経験をさせてもらってきて「今」があるのだけど。なんか今感じるのは、「ああ、戻ってきたな」という感じ。
これはそんなに遠くないミライにしっかりとカタチにすることになる気がするけれど、ぼくはこの三月までで一つの章を終えることになる。
「人間は分かり合えないのか?」という零章
に始まり、
「他人の色=自分の色」とした一章。
「自分の色の探求」の二章。
「ダレカとの共創」を目指した三章。
そしてこれから始まるのが
「ダレカの舟の中で自分を活かす」
という四章。
自分で自分のことを知っていく中で、良くも悪くも自身に対するソトからの見られ方もわかってきました。
一言で言うと「めちゃめちゃオモシロイケド、扱いづらいやつ」ってな感じ。
#自分でオモシロイ言うな
#オモシロイけど!
自分でやりたいことが明確にあったことと、
上記を踏まえると「自分で仕事をする方が良
いなー」となって就職をせずにこれまでなん
とか走ってきました。
実際動いてみると、いかに自分で仕事を創った上で、その仕事に対してパフォーマンスを発揮することが難しいことかわかりました。同時に仕事を与えてもらえることに対する有難みもわかりました。
同じような志持つダレカと、
共に働きたいなー
そんなことを常に思ってきました。
たまたまなのか、必然だったのかはわからないけれど、そんなぼくが御縁いただきとある企業で「一緒に働こう!」と言ってもらえたのです。
嬉しかったなー。
昨日はその企業での研修にいってきたのでした。
自分で動きまくっていたこの数年、分野とい
う分野を明確に定義せずにあれやこれやと動
いてきたけれど。その心の底に常にあったの
は「人の日常が彩るキッカケを描きたい」と
いうことでした。
「教育」は人を良くも悪くも「創る」し
「造る」こと。
大学時代から関心のあった畑でこれからは 命と想いの炎を燃やしていきます。
今日はこの辺で!