「れおっち」のブログ

違いがあるからこの世界はオモシロイ。

あなたの何気ない日常に非日常をお届けするブログという名のキッカケ。

航海日誌vol2

 

2024年4月29日早朝6時50分。

ぼくは電車にゆられていた。

世間はGWの波に揺られ始めたところなのに、なんでまたそんなときに?

 

会社の企業担当チームのみんなで親睦を深めつつ、互いの価値観に触れ合う研修を自然の中でやろう!ということになったのだった。

 

横須賀の最果て三崎口からバスで少々。

ソレイユの丘といえば、耳にしたことがある

人もいるかもしれない。

 

ぼくが横浜に住んでいた頃で、ぼくがまだ小さかった頃。一度訪れたことがあった場所だった。唯一覚えているのは花がたくさん咲いている光景。今も変わらず咲いているのかな?

 

 

駅に着くと知った面々があった。

ほとんどのメンバーが家庭を持っていて、

おチビたちも参加可!な研修だったこともあ

り、たくさんのおチビーズもいた。

 

※うちの会社は割とオフィスに子どもたち連れてきたり、ができるような雰囲気な感じです

 

会社という会社に属したことがなかったぼくからすると、こんな風に研修という時間があるだけで新鮮で。

 

ましてや、子どもも仕事場に巻き込んでオッケーな゙世界線の中に自分が立っているのが不思議な感覚で。たまに、これは夢なのかな?という錯覚に陥りそうになる。

 

 

みんなが集まって、みんなでバスに乗った。

隣に小学2年生の男の子が座って話をした。

 

学校で習った漢字の話をしてくれたり、考えたなぞなぞの問題を出してくれたり。

 

自分が知っていることやできることを話すことで、承認してほしいんだな~と感じた。

そして、きっとここで「そんなこと知っているんだ!」「すごいじゃん!」って伝えることで、子どもはまた新しいことを知ろうとしたり、できることを増やそうとしたりするのかもしれないなと思った。

 

そんなこんなであっという間に時間が過ぎて、ソレイユの丘に到着した。

 

歩きながら手をつないで、その場で考えたリ

ズムゲーム?を一緒にやろうとしてくれた

り。抱っこしてほしいのか、飛びついてきてくれたり。

 

めちゃめちゃ人懐っこくて可愛かった。

 

到着してから午前中は野菜収穫体験をみんな

ですることになっていた。

ぼくと同じタイミングで入社したパパさんが

4歳の子と2歳の子を連れてきていた。

 

一人で二人を見ることが大変なのがこの時点

で伝わってきていた。

そんなこんなで、4歳の子にはぼくが近くにいることにした。

 

最初はその子自身緊張や警戒からか、お父さ

んのところに行っていたけれど。

めげずにしゃべりかけたり、相手の身長に合

わせて座って目を見て笑いかけたり。

一緒に野菜収穫しよ!とやっているうちに、

笑いかけてくれたり。手を差し出してきて

手を繋いでくれるようになりますた。

めっちゃ可愛かった。

 

そこからはお昼を食べ、近くのレンタルハウスに移動して本格的なワークという流れ。

 

レンタルハウスに着くやいなや、子どもたちはテンション爆上がりで大はしゃぎ!

ソレイユでも水辺ではしゃぎまわったりしていたはずなのに、大人顔負けの元気はつらつさ。大人たちは午前中の時点で割とゲッソリ気味ですた。

 

ワークを始めるにしても、子どもたちが家じゅうを走り回ったり、叫びまくったりで大人たちも苦笑いしながらなんとか始めようとします。

 

具体的にはみんなが今話したいテーマについて対話する時間をとって、最終的には今日を通して自身が感じているものを「詩」というカタチでアウトプットするということがこの日のゴールでした。

 

一見してみると「これが会社の研修なん?!!」だとか。

「これと仕事がどう繋がるん?!!」といっ

た声が聴こえてきそうですが、ぼくはとても 

良い時間だったと感じている。

 

これは1か月間会社という組織の中で過ごし

てみて既に感じていることだけれど。

やっぱり「仕事」という文脈になるとぼくら

はどうしても「数字」に偏る気がする。

 

もちろん「客観性」という意味で数字は本当

に大切なんだということも同時に感じている

のだけれど。でも、やっぱり数字に偏ってし

まうのもまた。逆に合理的じゃないのでは?

と思うのです。

 

ぼくら人間は「数字」と「言葉」を操る生き物だから。

 

会社としての「主観」だったり、その会社を

組織立てる個人の「主観」があるからこそ会

社という生き物は他の会社との「違い」を見

出し、そこにはその会社ならではの「個性」

が宿るのだと思う。

 

そしてその「個性」がその会社ならではの「価値」を形づくるのだと思う。

 

だから、この一日のように「自然」に触れる

時間。「詩」に触れる時間。

そして、「大人」のように「数字」に偏りがち

な生き物ではなく「子ども」とう本能のまま

に生きる生き物とコミュニケーションを取る時間に触れることは本当に価値ある時間だと

感じるのです。

 

 

せっかくなので、ぼくがこのワークの中で創った「詩」をここに記載してみる。

 

タイトル『子ども』

 

急に走り出す子ども。

急に食べだす子ども。

急に笑い出す子ども。

急に泣き出す子ども。

 

何もしていないようで全てをくれている

子ども。

 

カコの子ども。

ミライの子ども。

今、目の前にいる子ども。

 

そんな子どもに恥じない大人でありたい。

 

 

 

ワーク終了後、みんなでご飯を食べた。

ご飯を作ってくれるメンバーと、子どもと遊ぶメンバーで分かれた。自分は後者。

 

一通り遊びつくして手持無沙汰そうな子どもたちがいたので、その子たちが好きなキャラクターを聴いてオリジナル塗り絵を創ってみた。

 

あまり話ができていなかった子どもたちとその傍ら、お話をして過ごした。

 

子どもって本当に不思議な存在だなということをこの一日を通して多く実感した。

 

ただ遊んだり。ただ笑ったり。ただ泣いたり。ただ眠ったり。

 

たったそれだけなのに、その姿から色んなも

のをもらっている気がする。

 

「生きる力」のようなものを御裾分けしてもらっている気がする。

 

「教育」という文脈になると、どうしても

「大人→子ども」となりがちだけれど。

ううん、どんな分野でもそうなのかもしれな

い。

本当は「子ども→大人」なことってもっとたくさんあるんだと思う。

 

そこをちゃんとキャッチできる大人でありたいし、そこにリスペクトを置ける大人でありたい。

 

そう感じることができた、一日だった。

 

レンタルハウスに泊まっていく組と、日帰りする組がいてぼくはせっかく横須賀にきたから実家に帰ることにした。

 

帰りのタクシーで4歳と2歳の子と一緒になった。

 

2歳の子はタクシーの中だろうが電車の中だ

ろうが無邪気に笑いまくるし、泣きまくる。

最強だ。

 

タクシーの中では立ち上がって危なかったの

で、ぼくが抱っこすることになった。

めちゃめちゃ可愛かった。

 

人の親になる、ということがどういうことな

のかはまだぼくにはわからないけれど。

少なくとも、その尊さや喜びの片鱗を感じ取

ることができた一日だった。

 

「子ども」から学ぶ姿勢、ううん。

「人」から学ぶ姿勢を大切にしていきたいも

のですね!

 

今日はこの辺で。

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