2024年4月21日。
井の頭公園で「お花見」ならぬ、
「お花魅」を実施した。
今日はそんな「花魅」モノガタリの第3幕。
まだ「はじまり」を読んでないよーという方、振り返ってからという方はこちら↓
shizhonglingyang.hatenablog.com
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さて。
前回は「想いのタネ」という土の中に埋もれているものを
どうやってカタチにしてるのか?芽吹かせて
いるのか?てきなお話を描きました。
今回はそこに肉付けをして、どうやって蕾にするのか?といったお話を。
「花魅」に来てくれたとある大学生が質問してくれますた。
その子は「花魅」を含めて2回、ぼくのイベントに足を運んでくれた子で、その子自身もまたこのゴールデンウィークに人生初のイベントを催そうとしているタイミングだそう。
「今まで何回くらいイベントを催してきましたか?」
という質問でした。
ぼく自身意外と問われるまで、自分がどれくらい場数をこなしてきたか?って考えたことなかったなと。
これを機に、改めて振り返ってみようと思います。
自分が「イベント」というイベントを初めてカタチにしたのっていつなんだろう?
というか、何を以てして「イベント」とするかによるよな。
ここでは「自分以外のダレカを巻き込んで想いやアイデアをカタチにすること」を「イベント」として捉えて話を進めてみようと思う。
ダレカに言われて、じゃなくて。自分で「やってみたい」をカタチにした経験。
たぶん本当の最初って小学校の頃の「告白」なんじゃないかな?
もっと小さなもので言えば、親に対して「おねだり」してそれが叶ったとかだと思うけれど。それは自分の力で、というよりは「子」としての特権的な側面が大きい気がするからカウントしないでおこうと思う。
おそらく、ぼくが初めて「イベント」をカタチにしたのは小学生の頃に好きだった子に対して「告白」して、「両想い」になったところにあると思う(笑)
ちょっと自分でもこういうことを描くことになるとは思わなかった( *´艸`)
でも、割と合ってると思う。
一見、どこか「イベント」なんだよ?って思
うかもしれないけれど。
本質的には同じだと思う。
「あの子と両想いになりたい!!」
そんな想いのタネにカタチを与えてやるためには何をすればいいのか?
その頃は決してそんなことをちゃんと考えていたわけじゃないけれど、本能的に動いていた。
自分がどう感じているのか、それをコトバにして表現するしかない。
それが実現するかどうかは知らんケド。
とりあえず実現する道があるとすればそれはその先にしかない。
それからかな。
小中高くらいまでのぼくは正直、
「告白」を通して「イベントづくり」をしてきたのかもしれない(笑)
もちろんそれ以外にも中学3年生の時に「応援団長への立候補」をしただとか。
高校3年生の時に「文転浪人の申し入れ」をしただとか。
大きな「イベント」を起こしたこともあった。
聴かれたときには「イベント」の解像度がもっと粗くて、一般的な「催し会」みたいなレベルでの話しかできなかったけれど。こうやって改めて筆を執ってみると、案外もっと深いエッセンスが抽出できるんだなと感じている。
話を戻します。
聴かれた問いに答えるのならば、「〇〇回」じゃなくて「日常的にイベントを起こしてきた」がぼくなりの解になるのかな?と感じる。
今こうやって書いていて気づいたのだけれど、ぼくは今まで日常的にイベントを起こす場数を自然と踏んで来たのだなということです。
あんまり意識したことなかったからその過程で何を大事にしていたか?を言語化することはできていなかったけれど、最後にその肉付けの部分を描いてみようと思う。
骨組みに関してはひとつ前の記事で書いた通り
「コンセプト」「日時」「場所」の要素で最初に決めきってしまい、
そのうえで「集客」の動きをしてしまう。
花魅でいったら、今年の1月の時点で「コンセプト」はある程度固まっていたのと、
「4月21日」「だいたいお昼前くらいから夕方くらいまで」ということだけはだいぶ前に決めていた。
場所も本当は先に決められたらベストだったのだけれど、色々バタバタしてしまったのもあって今回は上記の情報が決まった時点で「集客」に動いていた。
「肉付け」を考える際のコツはすべての肉を「コンセプト」に結び付けていくというこ
とだと思う。コンセプトに寄せれば寄せるほど、そのイベントはコンセプトを体現した
ような世界観で満ち溢れる。
ディズニーでいったら、「夢の国」というコンセプトに寄せて「スタッフさんの振る舞い」「装飾」「音楽」「マスコット」「アトラクション」「トイレのデザイン」「施設のデザイン」などといった要素が創り込まれているといった感じ。
「花魅」のコンセプトは「ウチに咲く花(タネ・芽・蕾)をその場にいる人と魅せ合うこと」だったので、「ウチにあるものをどうやったら気を張ることなく魅せ合うことができるか?」といった軸で色んなことを考えた。
「初めまして」の人がたくさんいるから、ど
うアイスブレイクするのか?
どう心理的安全性の高い空間を描くのか?
音楽はどんなものを選んで流すのか?
どういう風に人を配置したら、コンセプトに近い空間になるのか?
どんなコンテンツを、どれくらいの時間盛り込んだらいいのか?
途中参加する人が入りやすいタイムスケジュールは??
挙げたらキリがないのだけれど、「イベント」をよくしていくためには無限に考えることがあって、それを一つ一つカタチにしていくことでそこには綺麗な花が咲いてくれるんじゃないかと思うのです。
今回、個人的に今までの「イベント」と違っ
てたなーと思えた点は
「事前に参加者の声を聴き、それを盛り込めたこと」だったなーと感じる。
色々とつらつら描いたわけだけれど、最後にちょっとしたまとめを。
どんな花が咲くか?は最初にどんなタネを撒いたのか?をベースに、
そこからどうやって水をあげ続けたか。
自分だけの想いで水をあげたら、たぶんそれはそんなに大きなものにはならなくて。
そして、たぶん単色な花になるんだと思う。
それが決して「悪」だとは思わないけど、ぼくはそれが「オモシロイ」とは思わない。
自分の想いを起点に、周りに関わろうとして
くれる人たちの想いをどれだけ汲めるか。
より多くの人の想いで水をあげた芽を花にするのはその分大変だけれど、きっとそれは
大きな蕾になるんじゃないかと思うのです。
そしてその蕾が花開くとき、きっとそこには一人では観ることのできなかった鮮やかな花が待っているのではないかと思うのです。
ぼくはそんな「花」に価値を感じるし、そんな「花」を咲かせていきたい。
今日はこの辺で!
TO BE CONTINUED
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